2014/03/31

やけに明るいどんづまり

 どんづまりの世界は、光明と紙一重で、ほんとに朗らかだと思う。(林扶美子)

 ぼくは今日も休みをとっていて、朝から光海の診察で病院へ、午後からは役所へ行ったり、買い物や支払いなどをして、帰って来て家事をしていたら今日もアッ! という間に過ぎた。

 いつでもどんづまりなのは光海のお父さんで、彼はこんな頼りない父を選んできてくれたのだという。彼が来たことで、ぼくの仕事や生活の仕方も、また少し変えていかなければならないかな… というところにいま来ています。
 この「道草のススメ」はなぜか好評で、見てくれる人も多いようなのだけれど、ぼくはまた新しいことをやらなければならないので。つづきは、また、そのうちに。(近況など、何か伝えたくなったら、また「道草の家の自由時間」で書きます。)
 この1ヶ月、ご清聴(?)ありがとうございました!

2014/03/30

大きな耳

 光海を見ていて、自分に一番似ていると思われるのは、たぶん、耳だ。大きな、よい耳に育ちますように。

 今日は「一日(一)更新」を破って三回にわけて書きました。今年の3月、とても大きな、大きな、ながい、ながい1ヶ月でした。明日まで、です。

いっしょに考える時間のたっぷりつまった一冊

 医者だけが知識をひとりじめにしているのはよいことではありませんから、わたしが持っている程度の知識は皆さんの前にできるだけ公開してみようと思いました。そしてそれを起点にして、こどもたちの健康のためになにをしたらよいのかをわたしと読者の皆さんとごいっしょに考えていくことができたらと考えたのです。(山田真『はじめてであう小児科の本』まえがき)

 夕方には雨が上がって、今日は一歩も家を出ない! と言っていた考えを変えて、少しだけ外へ出てみた。そうしたら、急に桜が満開になっていた。
 家では少しだけゆっくり本を開く時間もできた。山田真『はじめてであう小児科の本(改訂第三版)』は、昨年の秋、妻の誕生日プレゼント、という名目で買ってきていたもの。赤とピンクの2本、あざやかな紐の栞がついてるお洒落な本で。内容は、じっくりじっくり、ながい時間をかけて受け継がれてきた素晴らしい一冊です。

雨の休日

 それもこれも全部やってみよう。結果は見てのお楽しみだ。(ジャック・タチ)

 今日は急遽お休みをいただいて、朝はとにかく(光海のオムツかえで少し起きた以外は)眠っていた。ひたすら寝て、気づいたら、もう昼前だった。昨日は終日、頭痛が酷かったし、自分も相当疲れていたんだな。外は、雨嵐(1階の雨漏りが久しぶりに再発した)。ぼくは散らかり放題だった自分の部屋の片付けと掃除をして。休憩に本を読んだり。久しぶりに「セーム・タイム」で「サンデー・ソングブック」を聴いたり。光海が生まれてきて以来、はじめて休息がとれたという感想。で、休んだら、一気に気分が軽くなり、昨日までがウソのように、いろいろやるぞという(とまではいかないか、さ、やるか、くらいの)気持ちになった。

2014/03/29

まわり道

 国は破れないで山河がほろびる。(長谷川四郎)

 今日は道草支援(仕事)のあとで、自分用の道草をひとつ。光海くんにプレゼントがあるから、出てくるついでに取りに来て、と。いただいたのは、ちいさな木のオモチャで、心から嬉しい(本人にはこれから手渡します)。数日前には素晴らしい絵本が届いたりもして、いろんな贈り物がある(お礼の連絡は、これからゆっくり、ゆっくりしますね)。もちろん日用品をくださる方も多くて。ぼくたち親子はいま、いただきもので暮らしてる感じがする。文字通り、ありがたい。
 それで、夕方、道草のついでにいろいろお話をしていたら、ふとしたところから、「おわりははじまり」ということがまた頭の中心にやってきた。1ヶ月限定で、とはじめた今回の「新・道草のススメ」も、あと残り2日です。

2014/03/28

…への贈り物

 ぼくらはだれもが幼い子どもだったよ。(リチャード・ブローティガン)

 この数日は、なにがなくとも疲れている、という感触。どうしたことやら。休みが必要かな。ひとつを休んでもほかがある、という状況は相変わらずで。それでも生活は苦しいまま。それでも休まずに体を壊したらますます苦しいので。という苦し紛れの日々。今夜はゆっくり子と妻と一緒に過ごすんだ、と思って帰宅したら、この顔。ただいま!
 急にリチャード・ブローティガン(の詩、ストーリーのほうではなくて)が読みたくなって、寝る前に手元に置く。気弱になったときに、手にとりたくなる。死後に発見された作品集『エドナ・ウェブスターへの贈り物』から。

2014/03/27

風呂好き

 本当にいま必要なのは、名言などではない。むしろ、平凡な一行、一言である。(寺山修司)

 仕事から戻ったら、光海のおばあちゃんが光海をお風呂に入れてくれていた。彼はお風呂が大好きで、うっとり浸かる。
 ぼくは相変わらず調子が悪い。口内炎も大きいのができて。吃音の調子は最悪だし。そういえば、春はあまり得意な季節ではないっけ。でもまぁ、ダメダメならダメダメなりに、いまはいまのことを淡々とつづけようという気がする。

2014/03/26

「親になる」ということ

 子を産み、育てようとする人にとって、厳しい社会だという見方があるようだ。何が? つまり、経済的に。
 子を産んだら(経済的に)得をする、かつ心配なく子育てできる、というくらいじゃないと子を産もうと思う人は増えないよ、ということを言い出す人までいるようで… あのね、ちょっと待って。子を産み育てることは「損得」では考えられないし、心配事がなくなったら人はどうなるかな?
 子育てをする人は「お金がかかる」からと煙たがられる企業まであるという。ほんとうに? でも、この社会で、あながち噓でもない気がするのだよ。お金が人のすべてなら、たしかにこどもなどいらないのだろうが…
 子をもたない選択も人生にはあると思う。けれど、子の親になろうとする人を煙たがるのは奇怪しい。なぜなら、自分を産んで育てた人がいるということを忘れている。自分を産んで育てた人を励まし、助けた人たちがいたことなんて想像だにしないのだろう。

2014/03/25

人生初の…

 今日はもろもろ休んで、朝から光海と彼のお母さんが診察で病院に行くサポートを。光海にとっては、生まれてきてから初の電車移動! ずっと寝ていたかな。いい天気で、あたたかい日で。ちょっと日ざしが強いので、ぼくの帽子はずっと光海の顔の上にあった。

 昼過ぎてから帰宅して、炊事、食事、皿洗いや台所仕事、洗濯、買い物、と家事をこなしていたら、もう夕方で。また炊事、食事、台所仕事、光海のお風呂、えとせとら、をしていたら、もう夜遅い。ぼくは家でやるべきデスク・ワークをいつやればいんだろう? 自分の部屋は散らかしっぱなしで。さぁ、どうしよう。

2014/03/24

よく眠れ

 今日の仕事は「夜遊び支援」だったのだけれど、途中でちょっと失くしものをしてしまい、大反省中。夜の某場所には魔物がいたようで、不覚! だった。

 帰ってきたら、光海が、このとおり。今日はとても機嫌がよくて、よく眠ってもいて、ホッとしているところです。赤ん坊はもちろんお母さん支援も必要だなぁと思ったりもして。一方、ぼく自身はといえば、家に戻っても、あれやこれや仕事を抱えていて。あっちへホイホイ、こっちへホイホイ状態で。ちょっと「疲れた顔をしている」らしい。さて、問題は自分をどう助けるか、だよね。

2014/03/23

スチロール・プール

 今日は道草支援のついでに、新宿眼科画廊で行われている角野晃司さんの個展を覗いてきた。『アフリカ』第11号(2011年6月号)に載っている「シガレット・マスク」の展示もやっています。が、今回のメインは、これ。この写真の窓の向こうで制作されている「スチロール・プール」。会期中の6日間、作者自身が作品のなかに潜り込み「発砲スチロールの塊を削り続ける」という作品。彼として、都市に生きる、という感触が、この作品のなかにあるとか。でもそんな蘊蓄より、この一見単純に見える作業(?)そのものが作品になるという、クッキリとした作品の在り方に、なんとなくぼくは気持ちが良くなるなぁ。
 ちょっと立ち寄って、その空間に身を置いてきました。26日(水)まで。

2014/03/22

彼のペース

 とにかく夜泣きがすごい。けれど、夜型は夜型なりにペースもできてきたような気がする。
 ぼくはとにかく昼間(今日も仕事中)、眠くて眠くて。夜、帰宅しても、なかなか眠れず。やっぱり眠い。

2014/03/21

終わりは始まり

 外出支援のあとで、急に呼ばれて(勝手に呼ばれて?)吉祥寺美術学院のアトリエへ。大学入学が決まって、アトリエを卒業していく学生たちの、お祝いのパーティーに少し顔を出してきた(おめでとう!)。大田区から横浜へ帰るのに、吉祥寺に寄るという(大きく逆方向)、まさに道草。入っていったら、このブログにアップしてある光海の写真がプリントされて張ってあった。
 アトリエで小一時間ほど話して、帰宅したら、晩ご飯もそこそこに、泣き止まなくなった光海の相手をしていた。泣き止み、また泣き出し、のくり返しでもう深夜。じつにあっという間。ほんとうに「あっ」としか言えない感じ。
 ぼくは家でやらなければいけない作業の多くを、後回しにしている状態で。さて、どうしていけばよいのだろうか? 削れるのは睡眠時間くらしかないように思える。ほんとうに?

2014/03/20

生きている家

 幸せな記憶とは、“幸せ”そのものだ。(アニエス・ヴァルダ)

 今日は朝から止まない雨。午前中は検診で病院へ行ったので、光海にとっては、はじめて体験する雨の日だったかな?(先週、降ったときにはまだ生後2日目で、外には出なかったので。)
 赤ん坊がやって来て、もともといい“気”をもっていた道草の家が、ますます元気で、瑞々しく感じられる。
 この家は、ぼくが10代のころまで住んでいた鹿児島の家(建て直したので、もう残っていない)に、どこか似ているんだ。
 それにしても、夜は、よく泣く。妻の睡眠不足が心配。ぼくもけっこう寝不足だけれど…

2014/03/19

へその緒と来客

 君が幸せな人生を送るには、たくさんの人の助けが必要だ。(ウルフマン・ジャック)

 宿泊の仕事から戻ってきたら、この寝顔。今日で、光海が生まれて1週間。おおきな、おおきな1週間だった。今日は、光海に会いにくるはじめての来客(家族以外の)もあった。いろんな方が、光海くん(光海ちゃん?)へ、といってプレゼントをくださる。ありがとう。ぼくはラジオを聴きながら、ちょこまか仕事をする。が、なかなか、はかどらない。夕方、へその緒がとれた(大事に保管してます)。「へそ」が、「へそ」らしくなっていく過程を見た(なにもかもが新鮮)。よく(おっぱいを)飲み、よくはき出し、よく… この話はまた明日以降にしよう。

2014/03/18

春一番と出生届

 春一番が吹いている。あらためて「春一番」とは、「立春から春分の間に吹く最初の暖かく強い南風(8m/s以上)」だって。その生あたたかい強風と、雨が降りそうな空の下、午前中、区役所へ出生届を出しに行ってきた。光海、横浜市に生まれる。ってことをお知らせして。明日で、彼が生まれてから1週間が過ぎる。

2014/03/17

トゥ・ア・チャイルド

 私が死ぬとき 私がいってしまうとき ひとりの子供が生まれる そして世界は巡っていく(ローラ・ニーロ「アンド・ウェン・アイ・ダイ」)

 今朝は、親子3人で、光海の生後5日目の検診で病院へ行ってきた。じつに元気。
 写真は、陽子が大事に用意していた、光海のベッド。古道具屋で見つけてきたんだっけ? カゴをベッドに仕立ててある。ピッタリでしょう? お金は(あまり)かかってないけど、アイデアとモノは最高。
 夜、光海が寝ついたので、ちょっとひと息ついて、いつも親しい気持ちをもって拝読しているある方のブログを読みに行った。そこには、その方のお父様(ご高齢の)が、ちょうど光海の生まれた日の、生まれる前後の時間、急に逝ったと記されていた。
 命は巡っていく。ローラ・ニーロの歌を思い出したりもして、シンとした気持ち。

2014/03/16

春の知らせ

 日々生きているということは、あたりまえのことではなくて、実は奇跡的なことのような気がします。(星野道夫)

 夜泣きにつきあって、寝不足のまま外出支援へ。ながい仕事の前には、ひとりで寝て、しっかり睡眠をとるように、と妻と妻の両親から助言(?)があった。ムリはよくないからね。ありがとう。
 今日は利用者くんと、同行(利用者くんと顔合わせ中)の支援者さんも一緒に野毛山の動物園へ行ってきた。写真は、ご覧のとおり昼寝中の虎。
 この季節は、たとえばこの本を手にとりたくなる。星野道夫『旅をする木』。引用したのは、「春の知らせ」という文章から。少しあとには、こういう部分もある。「流産をする時は、どうやってもしてしまうものよ。自然のことなんだから、それにまかせなさい」と言った妻の母親のひと言ほど、私たちを安心させてくれる言葉はありませんでした。

2014/03/15

「イエロー・サブマリン音頭」

 生まれてきてから、3日がたった。我が子の可愛さ、想像はしていたのだけれど、それを遥かに超えている。というより、可愛いとか、そういう次元ではないのだった。
 昨夜は夜泣きがすごくて、ようやく落ち着いて眠れたのは朝の5時だった。(外出支援が昼からだったので、少し助かったよ。)
 ウトウトして、起きて、抱きかかえ、子守唄をうたう。明け方、「イエロー・サブマリン音頭」をうたったら、彼のお母さんは苦笑いしながら、一緒にうたっていた。
 光海は、顔を真っ赤にして、くしゃくしゃに泣いていたかと思うと、すっと澄んだ肌になり、大きな瞳でぼくをじっと見つめ、小さなあくびをして、やがてまた眠る。

2014/03/14

たいへんだけれど、おもしろい日々

 今朝、病院に迎えに行き、昼ごろに病院を出て、生まれたばかりの赤ん坊と、彼の母が、道草の家に帰ってきた。今日から、親子三人の暮らしがはじまった。しばらくは、奥さんのお母さんが毎日のように来てくれて、家事など手伝ってくれることになっている。家族のサポートが、ほんとうにありがたい。

 出産は、さいご、けっこう大変で、かなり時間がかかったので、妻も、子も、かなり疲れたな。父は、少しホッとしたよ。先ほどから、よく泣いている。ぼくはいま、それを少し離れた自分の部屋で気にしながらパソコンに向かっているのだけれど、妻は、「夢で逢えたら」を歌いはじめた。これから、たぶん、もっともっとたいへんだけれど、おもしろい日々がはじまる。

2014/03/13

光海

 思い出か、予感か、それさえ見当のつかないものが、海のように、光のように満ち、遠い白い建物として、異国的な樹々としてたちならぶ。僕にはこの状態が幸福なのだ。(小川国夫)

 3月11日の(このブログの)更新のあと、陣痛が順調に進み、その日の深夜前に入院して、そのあとは順調だったり、順調ではなかったりもしつつ、なんとかその翌日、3月12日、13時22分ごろ、生まれました。名前は、前々から決めていて、陽子(妻、愛称「ことのは」さん)がずっとあたためていた「光海(こう)」です。男の子。この写真は、生まれて30分後くらいかな。
 光海にしよう、と決めて少しあとに、あぁ、小川国夫がきているなぁと思っていた。とくに短篇「海からの光」と、ぼくが大阪を離れて府中へ移った直後に、映画『デルタ』の副読本としてつくった本のタイトル『海のように、光のように満ち』を思い出す。たまたま、だけどね。
 彼に、幸せな人生が訪れますように。

2014/03/11

この道

 凍りついた夜には ささやかな愛の歌を 吹きすさんだ心へと 泣かないで、この道は 未来へと続いている(山下達郎「蒼茫」)

 今日、3月11日は「予定日」。おぼえやすい日でしょう? 風雷社中らしい気遣いというのか、外出支援も今日は前々から休みになっていた。
 そんな予定日。午前中、診察に行ったと思ったら、陣痛がはじまったという連絡がきて病院まで迎えに行き、いったん帰宅(10分おきの陣痛が、5分おきくらいになったら入院することになってる)。帰り際、杉田の商店街に寄ったら、生きのいい魚や野菜が安くて美味しそうで、ついでに買い物もしてきた。地元の母にメールしたら、予定日に、なんて律儀な子、と。ま、ゆったり待ちます。
 このまま夜、落ち着いていたら、「道草の家の自由時間」で、3年前の「道草のススメ」を「読み返して」みようと思ってます。が、予定は未定です。

2014/03/10

「ゆっくり走ろう」

 どのようなトラブルに遭遇しても、とりあえずまず「笑う」。これは大事なことである。(内田樹)

 ちょうど3年前の今週、ぼくは「活字の断食」といって、おかしなことをしていた。3月10日の夕方には、住んでいた府中の部屋から歩いて30分くらいの距離にある多摩川の河川敷にいた。そのときのことを、何があったわけでもないのに、その平凡な、穏やかな夕暮れの様子を、なぜかすごく覚えている。堤防の道に、こう書かれているのを写真に撮って、「道草のススメ」に載せたことがあったっけ。「ゆっくり走ろう」

2014/03/09

みんなのテーブルの席で。

 勝利のためでなく 僕としては精一杯やった 一日の仕事のために。 玉座のためでなく みんなのテーブルの席で。(チャールズ・レズニコフ)

 外出支援のあとで、今夜は「よむ会」。猪谷千香『つながる図書館』を読んで集まったメンバーで、夜遅くまでお喋りしていた。さすがに、眠い。あまりに眠いので、つづきは明日。

2014/03/08

流域

 考えてみれば、夫婦ふたりの生活も、もうあと数日か。と思いながら、今夜はとても静かな気持ちだ。

2014/03/07

局地的

 人には何かが与えられている。どんなことがあっても、それは生かさなければならない。(マリー・キュリー)

 今日も夕方には少しだけ大田区へ出て外出支援を(今日のは道草支援というほどのものではなくて…)。
 蒲田へ出たら、急に空が暗く、重たくなって、あちこちで「雪だ」と言っている人たちがいたようだけれど、ぼくのいるところには降らなかった。
 話をむりやりつなげるようだけど、普段のぼくは、そうやって、ものすごく局地的なことしか考えていないようだ。
 5年前のことを思い返すと、随分遠くまで歩いてきてしまった。5年前、いまの、ここを思い描くことは、まぁ不可能と言っていい。思い描けるというのは、予想できる範囲内のことしかやっていないということなのだろうけど、そういう生き方もあると思うし、自分にはそれができないというふうに思う。局地的なことしか考えずに、ひろい視野をもつ、ということはできないか。

2014/03/06

お先にどうぞ

 人は誤解されればされるほど豊かになる。(岡本太郎)

 今日は愚痴っぽい内容(?)です。ここのところ、個人的にいろんな部分が不調で、どこへ出かけても家にいても「ミシミシ」いっている。気分もおかしいくらい沈んでる。そういえば、1年前もそうだったっけ? 吃音の調子も最悪(に近い感じ)で。そういえば、あれから4年? というのも、ぼくはだいたい4年周期で、吃音のことで大きくつまずくことになっていて… と思ったけど、前のが最後に会社勤めをしていた2009年だったから、「4年後」は昨年だった!(ということにいま気づいた。)と、ね。子が生まれるというのに、父は相変わらずだね。

 これも相変わらずで、疲れたら、Doo Wopを聴く。今日は、くりかえしコレを聴いていた。ついでに、写真も、音楽を奏でてる者たち。

2014/03/05

雨の朝、嬉しい知らせが

 人生というゲームは、いい持ち札に恵まれるよりも、悪い持ち札で上手に戦うことにこそ、意味がある。(H・K・レスリー)

 昨日の夜から今日にかけては大雨。しかも冷たい雨。昼ごろからは、その雨足もどんどん強くなり… 今日は外出支援の仕事には入っていなかったのだけれど、夜はHASUNUMA★BASE(風雷社中の拠点)で会議があり、雨のなか出かけてきた。(書くことが決まらないと、こうやって天気の話をするに限る?)

 ところで、朝、遠方に住む親友の話をしていたら(夫婦で)、そのあと久しぶりにメールがあって、結婚することにしたよ! という嬉しい知らせ。心からおめでとう! 最近、朝ご飯のときに噂話をすると、その当人から連絡が来る、というジンクスがつづいている。偶然? だよね。

2014/03/04

呑気でいる、という能力

 私がこれからどんなものを書こうと思っているか、などということが私にわかるわけがない。(ウィリアム・サローヤン)

 (分娩)予定日の、ちょうど1週間前の日が過ぎようとしている。父(ぼくのこと)は生活のことやら何やらで苦心しているんだけど、帰ってくると、元気で、ある意味では呑気な母と子がいる。この幸せ。呑気でいられるというのも、一種の才能じゃないかな。ニュースを見ても、相変わらず暗い内容ばかりで、なんとも… けれど、呑気でいるというのは、ただ、その人のあり方なので、誰にでもやろうと思えばできるし、機嫌のいい人のまわりには機嫌のいい人が集まるだろうから。で、どうせなら、もっと、呑気でいる、という能力を磨いておこうかな。

「道草の家の自由時間」のほうに、3/15(日)開催の「DET(障害平等研修)デモンストレーション」のお知らせを書きました。そちらも、見てみてネ。

2014/03/03

変わったこと、変わらなかったこと

 ひとつの単純な行動を変えることで、ほかの行動がその影響を受け、たくさんのことが変わる。(ジーン・ベイヤー)

 子は、のんびり屋さんだそうで、もう少しだけお母さんのお腹のなかにいる、と言っている。彼の父であるぼくは最近、数年前、大阪を離れて府中へ向かったころのことを、よく思い出している(あれがなければ、いまもなかったわけで)。明確な理由は何もなかった。とにかく、その前の数年間の状況を「変える」ためには、やみくもに動くしかなかった、というふうなことだったのだけれど… そのあと、ぼくは自分がいつ壊れても仕方のない状態でいたと思う。それは、いまでもたいして変わっていないような気もする。変わったのは自分ではなく、自分をとりまく状況で… 有形無形の、たくさんの励ましを受けたことを、一瞬でも忘れてはいない。子も、もしかしたら、ぼくたち夫婦を助けるために来てくれるような気がするほどで… でもね、いろいろあるけど、面白いよ、生まれてくるってことは、って思う。

2014/03/02

喪の仕事

 この週末もぼくは道草支援(外出支援)の仕事にどっぷり浸かって過ごした。そのあと今夜はスタッフ・ミーティングもあって、帰宅して晩ご飯にありついたのは22時ごろ。美味いビールを飲みながら、「サンデー・ソングブック」を今週も録音で聴いていた。3月には恒例の「ガールシンガー・ガールグループ特集」だけれど、今年はなんとなく様子がちがう。大瀧(詠一)さんがカバーなり何なりでとり上げたような曲ばっかりだもの。と思っていたら、やっぱりね… 「選曲したら、こうなっちゃった」ということらしいけど、それも、まぁ「らしい」というかネ。ぼくはこの番組自体が、大瀧さんの(いろんな意味での「活動」の)後継のひとつだと感じていて、特別に「追悼特集」を掲げなくとも、こういった取り組みそのものが、すべて「喪の仕事」にもなるわけだ。

 写真は今日の道草支援で立ち寄った国立新美術館の冊子。みんぱくのコレクションを集めた「イメージの力」という特集展示をやってます。予想以上におもしろかった。

2014/03/01

小さな計画

 いそぎはしない  小さな計画のことを(ジョー・バルビエリの歌「いつものように」から)

 今日から3月。昨年の夏から妻のお腹にいた子が、今月、出てくる。何か書いておこうと思ったときに、「道草のススメ」を思い出した。2010年8月20日から2013年6月21日まで、ほとんど毎日書きつづけたそれの、続編というか、後日談のようなものになると思う。ひとまずは、1ヶ月だけ。とにかく毎日書こうという予定です。

 写真は、最近、見事に花を咲かせたヒヤシンス。甘い匂いに包まれてる。