2015/01/31

自分の生まれた日

 36歳になりました。自分の誕生日くらい自分で祝おう、というので、毎年この日にはひとりで出かける。今年(の今日)も、妻子が「いってらっしゃい」と言ってくれたので、出かけることにして、戸越銀座にあると聞いていた鹿児島ラーメンの店と、ブリヂストン美術館へ。ブリヂストンでは今日から「BEST OF THE BEST」というのがはじまった。つまり、石橋コレクションの大ひけらかし大会、悪かろうはずがない、ようするに常設展の特集、くり返しくり返し観た作品ばかりだけれど、じつは数年ご無沙汰していたので、しっかり再会してきた。あと、やっぱり自分の記念日には、故郷・鹿児島の味が恋しい。夜も、鹿児島産の鰻、キビナゴの刺身をはじめ、家でちょっと贅沢した。
 さて、いくつか自分の仕事をサボってます。関係各位、ごめんなさい。少しお待ちください。(今回の「新・道草のススメ」、明日まで書きます。)

2015/01/30

手ごたえ

  意見というものの困った点は、私たちはそれに固着しがちだという点である……何ごとであれ、そこにはつねに、それ以上のことがある。どんな出来事でも、ほかにも出来事がある。(スーザン・ソンタグ)

 今日はアトリエでの、今年度さいごの授業。正直、今日はちょっとさみしかった。でも、いいんだ。この1年は問題も多かったが手ごたえもかなりあった。この春、各々にとって良い展開がありますように。

2015/01/29

楠に集まる風の音

 今朝は雲ひとつない快晴、明日は雪、という予報なので、光海をつれて今日のうちに散歩に出かける。道草の家から少し歩いたところに、おおきな楠(くすのき)があるんだ。風の音をたくさん聴かせてくれる。

2015/01/28

新・小さなメディアの必要

  メディアはマッサージである。(アンディ・ウォーホール)

 たまに、そういうことを考えることがある。メディアは「媒体」と訳されることばだけれど、じつは、いろんなものがメディアになる。ある人たちのあいだでは『からすのチーズ』(もうすぐ2刷が印刷・製本所から届きます)の著者の家がある種のメディアになっているのを感じる。つまりメディアとは場で。光海にとって、いまは、ぼくら父母が大事なメディアになっている。つまりメディアとは人で。人は誰でも、個人的な小さなメディアを必要としているとぼくは思ってる。

2015/01/27

その時々の歌

 胸にそっとしまっておいた歌。今聴くと、どの曲もみんな夢のような気がする。風のように、影法師のように、それは叫び、吠え、そして賛美する。(ピーター・ゴールウェイ)

 「その時々の歌」というのは、ワーナー時代の『ピーター・ゴールウェイ』が1998年、久々に日本で再発されるというのでピーター・ゴールウェイ自身が書いた短い文章の、なかに出てくるこの文章のこの直前にあることば。商業的成功からは程遠かったと思われるこの人の「歌」を、山下達郎さんがラジオで紹介しているのを聴いてずっと好きで、まだ10代だった自分はくり返し聴いていた。もう20年近く前の話だ(自分はまだ若いと思っていたが…)。久しぶりに出してきて、耳を傾ける。その後、どう? と言われている気がする。

2015/01/26

睡眠とは

 朝はやく起きる生活にすると、夜が近づくだけで眠気に襲われるようになる。でも、ぼくは「夜更し」も仕事なのだ。なぁ〜んて考えながら楽しく眠たいのを我慢している。これ以上くだらないことを書こうとするのを止めて、寝る!

2015/01/25

特別な月

 混乱している人だけが、なすべき事や、なしてはならない事を選択するのです。明晰で素朴な人間は選択しません。ただあるがままのものがそこにあるだけなのです。(クリシュナムルティ)

 この数日、夜は光海と一緒に寝て、朝は早くに目覚める。ひとりで起きて珈琲を淹れて、妻子が起きるまでの数時間をひとりで過ごす。その時間の、すばらしいこと!

 2015年の1月も、あっという間(?)に、残り1週間。ぼくにとっての1月は、年明けから自分の生まれた日までの31日間で、なんだかとっても特別な月だ。

2015/01/24

肯定の炎を燃え上がらせる

 〈国家〉などというものは存在しない、だが、人間が一人で存在するわけもない。(W・H・オーデン)

 ぼくは中東情勢に詳しくない、だけでなく、自分の足元のちいさな、ちいさなことだけを見てうつむいて生きているような人間ですけれど、さすがに今週は「イスラム国」のことをいろいろ考えました。ぼくはそのような人間だから、武器商人たちを連れて中東へ行き「私たちがやっていることは人道支援です。また、テロには屈しません」と言って平然としている日本の総理大臣と政府の人たちの言っていることが具体的にどういうことなのかサッパリわからない。また、オーデンさんの例の詩を読んでいた。「下劣で不誠実なこの十年の せめてもの希望がいま消える」「子どもでも知っていることだ──危害を加えられた者は かならず仕返しをする、と。」「同じ否定と絶望に 包囲されているこのぼくにも、肯定の炎を燃え上がらせる 力の恵まれんことを!」

2015/01/23

不安と成長

 楽しいかどうかじゃない、楽しむんだよ!(ある友人)

 これから1月最終週は忙しくなりそうなので、今日は予定通り休んで、午後は光海とふたりでお出かけを。ぼくの用事に少し付き合ってもらい、そのあとは地域の「子育て支援」の拠点へ。あ、無料で遊べるスペースがあるんですね。そこは今回、初めて行く場所だったので、ちょっと緊張気味で、表情がカタくなっていて、可笑しかった。彼も、初めての場所で、緊張したり、怖がったりすることができるようになってきた。おそるおそる遊んでいたら、たまたま「夕方の会」が行われて、歌があったり、踊りがあったりまでは良かったものの、大きなぬいぐるみが出てきて喋りかけられたので光海は悲しそうな声を出して大泣きしてしまい… ぼくも面白い体験ができた。あんな顔をした光海は初めて見たかな。成長だねぇ。(しかし、お父さんと一緒なだけで「すごいねぇ」と言われるのは、どうかねぇ。)

2015/01/22

新・戦後文学

 今日の夕方、メール便が春に廃止されるというニュースが流れた。アフリカキカクにとっても、すごく痛い。警察の「取り締まり」が、自分たち庶民(?)の思っている以上に強まっているということが、ここまで表に出てしまった。一方、「イスラム国」の人質となった人を助けようとした自国の人たちの、妨害を、その国(日本だ)が率先してやっていたという事実も明らかになってきている。つい先日までは、「戦前のようだ」は理屈のうえの話だったが、最近ではもう社会を流れる雰囲気が明らかにおかしくなってきている。この期に及んでも、やはり、我々の「父母」の多数決は、「だって、金がないとどうやって生きていけばいいんだ?」と言うかな? 言うのかもしれないが、ま、歴史はくり返す、だ。そのうちまた「新・戦後文学」でもやります? 幽霊にならないうちにやりたいが…

2015/01/21

結果を出す、ということ

 今年がさいごの入試、と決意しているアトリエの学生が、センター国語で160点を超えたと報告してきた。嬉しい。芸大志望の学生で、学科試験は「余技」なので(ついでに言うと、ぼくにとっても週1回の「余技」で)限られた時間でどう高得点を出すか一緒に考えながらやってきた。平均点は上がるだろうけど、それでも、そこまでは予想していなかった。
 過去問をやっても、大手予備校がやっている模試を受けに行っても、まぁ半分を少し超えるくらいの点しかとれなかった学生が8割越えだから。よかった。その調子で、いけたらいい。

 で、今夜はセンター試験からは久しぶりに開放されて、渡辺亨さんの『音楽の架け橋』を読みながら、ひとつひとつの文章を丁寧にひらいて、「書く」ことについての短い授業をしてきた。

2015/01/20

おひさま応援団

 今日は朝から夜まで大田区で「外出」の仕事。で、夜、光海が眠ってから帰宅して、夫婦でいろいろ話したあと、夜遅くに『からすのチーズ』関連の連絡と情報発信をできるだけ… と思ってやってる。でも、へとへとでもうすぐ限界がきそう。
 『からすのチーズ』スペシャル・サイトも更新。今週、金曜と土曜に、東京・台東区と福岡・久留米市でイベント販売していただく予定がありますよ。いろんな場所で、「売りましょう」とお声がけくださる方がいらっしゃって、感謝の気持ちをこめて「おひさま応援団」と呼んでる(著者の母が「おひさま」のような人だから?)。

2015/01/19

メキャベツの店番

 助けてくれた人は、私のおぼれ方は上手で、助けやすかったそうです。(熊谷守一)

 もしかしたら、自分の、この「だらだら」に堪え兼ねて、離れていった人がたくさんいるかもしれない、と、今更のように思い至った。いや、でもね、師匠(注:小川国夫さんのこと)に比べたらこんなの… そりゃ、イヤイヤ付き合っているような人は離れていきやすいよね。うん。話はぜんぜん変わりますが、下の八百屋でメキャベツを売っていて買ってきた。写真のような売り方なの。キャベツの幼子じゃないですよ、ほら。って。光海を抱っこして(今日は重たくて「たのしくて充実していた証拠」と妻は言っている)疲れて帰ってくるときに買って、家で煮てスープにして食べました。美味。

2015/01/18

涙がでる

 夜には仕事をします。絵を描いたり、ときには書もかきます。私は若いころ、子供が次々とできて何かと金が入用の時期に、仕事が全く手につかなかったことがあります。(熊谷守一)

 いま、急に読み返したくなって熊谷守一の『へたも絵のうち』を出してきて久しぶりに少しめくっていた。なんだか、涙がでる。
 今日は年が明けてようやく珈琲焙煎舎へ新年の挨拶へ。もちろん珈琲が買いたかったというのもあって。『アフリカ』も『からすのチーズ』も、もちろん販売してます。『からすのチーズ』は、イベント販売の情報などもあるので、数日中にはまた。──少し前にも書きましたが、なんだか年が明けてから妙にだらだらしてます。で、熊谷さんの本に戻って、なんだか、涙がでる。

2015/01/17

センター試験と三倍速事件

 今日のぼくは某画伯の「外出のお供」をする仕事でしたが、アトリエの学生たちがセンター試験本番というので気になりつつ、最新情報を待っていた。昨今のセンター試験にかんして、大学入試にかんして、国語の問題にかんして、思うところはイロイロありますけれど、学生たちへはひとまずおつかれさま。センター試験はまだ入試の序盤、さっそく今後のことをメールで云々したところです。その一方、こちらは障害福祉が云々で、今日は面白いことがあった。それを書いていたら、毎日決めている字数をオーバーしそうなので、内緒にしておくか… 今後、「三倍速事件」とでも呼ぼうかな? 写真は、その「事件」が起こる前の、ラーメン屋における「鼻紙アート」でございます。こんなのをアップしてごめん。ネタ切れで。

2015/01/16

休日の過ごし方

 今日は一日休んだ。午後には光海とふたりで買い物に出て、道草をし、帰ってきてからは一緒にお風呂に入って、音楽を聴いていたら昼寝をして、ぼくは彼の寝息を聴きながら正月に飲み残していた白隠正宗(はくいんまさむね)の純米吟醸を飲みながら生牡蠣にレモンをたらして食べた。その間、原稿仕事をしていた妻に夜はハンバーグをつくってあげて一緒に食べ、早めに寝る。「いい日だったね」と隣で言ってる。たまにはね。

2015/01/15

氷雨

 氷雨(ひさめ):冬の、凍るように冷たい雨。本来は夏の季語で雹(ひょう)や霰(あられ)を指すことば。(『雨のことば辞典』)

 が、「氷雨の朝、昭和葬送」の新聞記事と歌謡曲「氷雨」によって冬の雨として市民権を獲得した、と書かれている。今日は朝から一日中、まさに、その冬の冷たい雨──氷雨が降っていた。ぼくは家にいて、イベントに出かけた妻子を迎えに行ったり、豚と白菜なんかをニンニクと大根おろしがきいたスープで煮込むみぞれ鍋をつくったりしながら、風雷社中の広報紙『ふうラボ』をつくっていた。『からすのチーズ』の2刷は、表紙と奥付など微修正をして、これから印刷。いろいろお待たせしている方へは、これからです。忙しいけど、なんだか、こういう忙しさは、とってもありがたいような気がします。

2015/01/14

珈琲ミルの音

 マスコミから遮断された世界で、ことばの飢餓感のなかにしばらく暮らしてみると、「ことば」が電波や活字になって、めちゃめちゃに飛び交っている日本の生活が、水の底から空中の喧噪を見上げるような気持ちで思い出される。「ことば」への不信感、というより、「ことばへの過信」への愛想尽かしが、少しずつぼくのなかにひろがってくるのを、ぼくはどうしようもない。(川田順造)

 ここでは書き忘れていたのだけれど、光海が好きなモノのひとつに、珈琲ミルがある。彼は毎朝、ぼくがこのミルで珈琲豆を挽く音を聴き、ぐるぐる回すのを見て、パッと目を輝かせ、ぼくにもやらせて、と必死で見つめる。珈琲焙煎舎と出会ったばかりのころ、ぼくがまだあの店の裏に住んでいたときに誕生日プレゼントでもらったミルだ。あれから、もう3年がたつんだな。

2015/01/13

ドゥー・ワップ

 朝から夜まで働いて、帰宅すると、頭がまず動かなくなり、「休めよ」と言っている。でも、と言いながら起きていても、なかなか、ですね。

 疲れたときには、ぼくはやっぱり音楽で、疲れたときにはやっぱり、たとえば、10代のころから、かわらず、Doo Wopを聴く。ま、コーラスの音楽なら何でもいいと言えばいいのかもしれないけれど。自分が出会ってきたなかで、一番、シンプルだと思われるひとつが、ドゥー・ワップなのだなぁ。

2015/01/12

子ども時代

 人間存在の一つの状態としての子ども時代、そしてすべての子どもたちが、一日一日、どのようにして子ども時代をとおりすぎるのか、彼らが、たいくつ、恐れ、痛み、そして悩みをどのように克服し、そして喜びをみつけるのか、ということに、わたしはつきることのない興味をもっています。子どもたちは、成長できるのだということが、わたしには、いつも奇跡のように思われます。(モーリス・センダック)

 昨年末に我らが「アフリカキカク」から刊行した絵本『からすのチーズ』(しむらまさと著)は、おかげさまで少しずつ、少しずつ、いろんな方のもとへ飛んで行ってる模様(「からす」だからネ)。北は北海道から南は沖縄まで? すでに日本から飛び出した「からす」もいるとか? 今夜、ようやく「道草の家の自由時間」でイロイロ書きました。お時間あるときに、のんびりどうぞ。

2015/01/11

ぱちぱち

 休日はとくに、朝から夕方、暗くなるまで(場合によっては夜まで)外出の仕事をして(つまりぼくにとっては休日は休日じゃないわけだ)、戻って、ご飯を食べ(ときには料理もして)、光海の相手をして、彼と彼のお母さんが眠ってから、さ、自分の仕事をしようと思うのだけれど、なかなか気持ちがのらない。自分も眠いみたい(そりゃ仕方ないって?)。ようするにこれから頭を働かす仕事なのに頭が働いてないので、ま、ちゃんと寝ろってことですね。

 最近の光海は、手を叩けるようになって、なにやら嬉しいみたい。よく拍手してる。ぱちぱち。

2015/01/10

「だらだら」の競争

 朝、はやめに起きると、時間の流れがちがう。じつは24時間、時間のスピードは一定はしていなくて、ずっと変化しているのかもしれないな。

 ぼくは例によって「だらだら」しています。そんな自分と「だらだら」の競争をしている人もいるそうです。

2015/01/09

朝焼け

 昨夜は疲れて帰ってきてから、晩ご飯をつくり、食べて、光海を寝かせたら自分もバッタリ眠ってしまい、気づいたら朝だった。で、久しぶりに朝焼けが見られたわけだ。明日も同じものを見よう(明日も晴れると思い込んで)と思うけど、ついつい夜遅くまで…

 今日は市川のダイバーシティ工房で2015年の壮大な計画を練り(?)、ぜ〜んぜん壮大ではない道草を(?)しながら帰り、あれこれ雑用をしていたら、もう真夜中。年賀状は印刷からあがってきているのだけれど、うちは夫婦ふたりとも面倒な性格で、宛名とコメントは手書きで書かないと出せない。で、案の定、ぼくはそんなことをしている暇がないわけだ。ごめ〜ん。もうぜ〜んぜん年賀状じゃなくなってるけど、待っていて。今年中には送ります? そんなことないですヨ。

2015/01/08

想像する情景のなかから…

 個性というか人格が言葉をあやつるのか、言葉が人格や心のうちを表すのか、想像する情景のなかから聞こえてくる言葉が…(渡辺茂男)

 今週のアトリエでも紹介した渡辺茂男さんのエッセイ集を、いま夢中で読んでいる。クリスマスに母が(光海にとってはおばあちゃんが)贈ってくれた、ぼくの幼いころに読んだ絵本、『しょうぼうじどうしゃ じぷた』『ぼくまいごになったんだ』の作者(物語を書いた人)が渡辺さん。引用したのは、「『しょうぼうじどうしゃ じぷた』誕生」から。着想から、なかなか動き出さなかった物語が、息をしはじめ、生きはじめる瞬間のことが少し懐かしげに語られている。ご存じない? 絵本に深い関心(愛情というか)のある方は、ぜひ読んでみて。『心に緑の種をまく』新潮文庫、ただし絶版?(8年ほど前の本です)──そのときはぼくと同じように古本屋で。

2015/01/07

いい年になりそう?

 横浜に住みはじめて以来、お正月にはまず横浜の伊勢山皇大神宮へ初詣に行き、そのあとで府中(第三の故郷)の大國魂神社へ初詣に行く、というのが恒例になってる。なので今日は、今年さいしょのアトリエ(吉祥寺)での授業前に府中に寄った。さすがお祭り好きな府中(?)、お正月ムードを残したまま、参道にはまだ屋台の列が。家族や友人たち、そして珈琲焙煎舎の2015年を、祈ってきた。じつは毎年、お守りを買うのも、おみじくをひくのも、大國魂神社で。おみくじは「末吉」でしたが、「大吉」より「末吉」のほうが良いんだっけ? なんか自分にはとても良いことばかり書いてあり、ほんまかいな、信じないけどがんばろ、と思ったのデシタ(そういえばぼくは今年、「年男」ダナ)。
 夕方からはアトリエへ。入試直前で、緊張感たかまる時期。いまこそ、考えておかなければならないこともあり、いろいろ話していた。帰宅前には、スタッフから「下窪さん、今年の目標は?」と訊かれ、即答できた自分に自分で、おっ、と思ったりしてる。

2015/01/06

故郷を見よ

 今日はもうあれこれ書く気がしないので、ぼくの部屋にあるカレンダーのことを少しだけ。昨年、今年と、故郷の父母から南日本新聞社がつくっている桜島のカレンダーが送られてきて、飾っている。ぼくは生まれてから19年間を鹿児島市ですごし、そのあと12年間を関西(おもに大阪)ですごし、そのあと府中で2年、そのあといまのところで3年ちかくをすごしている。もうすっかり異邦人なのだけれど… 住んでいたときには当たり前のような存在で、住まなくなってから愛情を感じはじめた代表格が桜島だ。故郷を離れてから、たとえば飛行機で鹿児島空港に降り立つたびに、空のうえから眺めた桜島の美しさと、それを見て沸き上がる懐かしい感情は、忘れようと思っても忘れられない。たぶんもう住むことはない、ぼくの故郷だけれど、光海にはたびたび見せたい。最初に、連れて行ける日を、いまは楽しみにしてる。

2015/01/05

初詣

 皆ここで何を祈り続けているのだろう。(中村広子「ゴゥワの実る庭」)

 今日は光海を連れて家族三人で初詣へ。ぼくはまた明日から怒濤の日々(?)がはじまるので、今日が快晴のよい日で、ゆっくり出かけられてよかった。妻子も、なんだかご機嫌で。ぼくはちょっとホッとしてる。
 
 「ゴゥワの実る庭」(以前、『アフリカ』で連載していた)で書かれている「祈り」を──あれは日本で神社やお寺に行くときにする「願い事」とが違う何かだと書いてあるのだけれど──ぼくは身近な神社に行くときにも思い出す。

 「道草の家の自由時間」で、絵本『からすのチーズ』のこと、『アフリカ』最新号のことを詳しく書いている途中です(相変わらずバタバタで、少しずつ書いてます)。近日中に!

2015/01/04

展望台

 今日が個人的な2015年の仕事はじめ。まずは「外出支援」から。どこに行こう? と迷って、久しぶりに、浜松町の展望台へ。行ったら、ぽかぽか陽気で、ソワーに座って昼寝しちゃったりして(自分が、じゃないよ)いい休日(自分が、じゃないよ)になりました。

2015/01/03

だいじだけど、むずかしいこと

 一生おなじ歌を うたいつづけるのは だいじなことです むずかしいことです(岸田衿子)

 寝正月の三日目は、じつは寝てはいなくて(三日間とも寝てはいなかったという説もある)、年末の大掃除をサボった家の掃除を軽めにして、いつも立ち話をする近所の家の前に光海を抱いて遊びに行き日向ぼっこをしながら新年のご挨拶をして、それから『アフリカ』の校正者が2015年最初の道草の家のお客さんになって来てくれたので、4人で夜までず〜っとお喋りしていた。たのしかった。彼が帰ってから、ぼくはようやく年賀状のデザイン作業をした。年賀状になってない? まぁなんでもいいです。少なくともいただいた方へはお送りするので、光海のカワイイ写真(ほかでは出さないもんね)がほしい方はこれからでもお送りください。なんちゃって。
 ぼくは明日(4日・日曜日)が仕事はじめです。というか、もう今夜から動き出してる。今年もよろしく!

2015/01/02

寝正月

 必然というものは、最初は偶然の仮面をきて登場する。(大瀧詠一)

 三が日は、“寝正月”にしよう! と決めて、そのとおりに過ごしている。とはいえ、元旦は妻の実家へ行き、今日2日は近所の「ゐなり湯」へ初湯(朝から営業している年に一度だけの貴重な日で、干支石鹸と、銭洗い弁天の御福銭と、飴がお土産に貰える──「ことのは山房」のブログでいろいろ書いたようです)に行く、ということはしっかりやっている。初詣は、光海を混雑のなかに連れて行きたくないという理由から、来週にしよう。ぼくはなるだけ「仕事」をしない! という意図で、家では好き勝手に酒飲んでグータラ過ごしている。サンデー・ソングブックの「新春放談」アーカイブを少し聴き返していた。最初に引用したことばは、2004年の「新春放談」から。で、最初に戻って、ゴロリと横に寝正月!

2015/01/01

思いめぐらす時間

 見守りながら、支えながら、じつはそうしている当人たちが支えられている、というおはなしです。(山本ふみこ)

 というわけで、2015年になりました。あけましておめでとうございます。元旦の未明、大晦日から風が強くて、周囲の草木が揺れる音が響いています。
 年越しの瞬間を挟んで、夫婦で、3年前のこと、自分たちが出会い一緒に暮らそうと決めたときの話をしていました。お互いに、そのことがなければ、住む場所も、仕事も、何もかもが全然ちがったものになっていた、と容易に想像つきます。そして自然とぼくは、自分が勤めを止める決意をして、いわば「ひきこもり」(なんて明るい、活動的なひきこもりだったんだろう?)状態になってから、結婚するまで、ひとりきりで年越しをした2回のお正月を、少し思い出しました。あの時間を、忘れまい、と思います。
 さて、また1年。今年がどんな1年になるでしょうか。どんな1年になろうと、なんとかやっていきましょう。