2016/12/31

心の快復

 大晦日。朝から、のんびり過ごしてる。今日もモーニング・ページに向かう。また後ほど、延長戦で、これまでの振り返りや今後の展望を書き出してみる。このノートは誰にも見せないし、自分でもあまり見返すことはない(最初のころは全く見返さなかったが、いまはたまに見返す、しかしなるだけサッと見るに留める、スピードが大事)。しかし重要なんだ。「閉鎖的な場」をもつことが… そこでは、自由にものが言える。自由とはどういう状態かと言うと、誰に対しても(自分に対しても)好き勝手なことを言っていいわけではなくて、ある程度、閉じた状態があり、安心して自分を試せる環境があるということ。
 数年前にこしらえて、押し入れの奥にしまっていた「ゴミ」があった。それには、自分では簡単には捨てられない思いがあった。急に思い立って、それを出して、袋詰めして、今年最後のゴミ収集に出してしまった。ここまでくるのに4年近くかかった。心の快復には、それくらい、時間がかかるもんなんだな。

2016/12/30

芳し

 ようやく体調が戻り、今朝は気分スッキリ、息子とゴミ出しに行き、数日ぶりに淹れた珈琲が美味しいこと! で、もう30日なんですね。というわけで、毎年、年末恒例の買い出しに元町〜中華街へ。歩いてもいけるのだけど、ぼくの足の心配もあるので電車でひと駅。お土産用のお菓子を買い、ランチを食べて、いつもの一石屋さんで鳳凰美田の、今年は「芳(かんばし)」を(日本酒です)。あと、妻が楽しみにしている(その鳳凰美田の小林酒蔵がつくっている)梅酒も無事に入手。これが旨いんだ。しかも数日ぶりにお酒を飲んだもんだから、からだにしみいるような美味しさ。

2016/12/29

手紙のように

 ことばが人と人を結び、共に生きるための手がかりであるならば、文章としての内容と共に、その声の重さ、あたたかさ、硬さ、表情、みぶり、しぐさをもって働きかけてくるそのさまを感じ取ること、さらに表現することばが回復される必要があるのではあるまいか。(竹内敏晴)

 熱が上がりそうな関節痛(というか体中がしみじみ痛んでる感じ)が丸一日つづいて、微熱のままだらだら苦しくて、どんどん寝ていたら、明け方、ちがう痛みに気づいて目がさめた。全身筋肉痛みたいな感じ。寝ても座っても痛い。もだえた。苦しかった!(熱は下がっていた)熱い風呂に入ったら、ギリギリと痛んでいたからだが少し和らぐ。ホッとする。お風呂から上がったら、クリスマスに注文した本が、お手紙と共に届いた。これは激励の手紙… ありがたく拝読。身が引き締まります。本はお正月にゆっくり読みます。

2016/12/28

ぐだぐだな年末

 風邪、見事にぶりかえして、昨夜の授業が(結果的に)2016年の、ぼくの仕事納めになった。からだの節々が痛む。最近の無理、不摂生が祟ったということ。ぐだぐだな年末です。休む!
 体温計はやっぱり37℃台前半止まりなんだけど、からだの節々が痛み寒気がしてひじょうにきつい。体感的にはもっと高い熱を出している感じがする。妻がホットレモネードを持って来てくれたので起きてカーテンを開けたら、きれいな夕焼け。

2016/12/27

極私的十大ニュース

 アトリエの、今年最後の授業は、先週欠席していた学生さんの面談をしつつ、2016年の「極私的十大ニュース」を書き出す小さなワークショップをやった。
 極私的、つまり、すごく個人的な、今年の十大トピックスを見つける。ぼくは十年ほど前から個人的に毎年、年末にやっていることなのだけど、小さなことでいいから最低十個は「個人的ニュース」意識する。しかし今年はあまりにも簡単に十個書き出せてしまった(あと一個でも思いつかずひねり出すのが楽しい作業のはずだが…)。それくらい今年のぼくは充実していた。大きな転機となる年になったかもしれない。今年、その時々には意識していなかったが… その重要なきっかけのひとつ(の場)となったのが、今年の「極私的十大ニュース」の最初に選んだ「モーニング・ページを始めた」こと。以前も少しだけやったことはあったが、こんなに毎日、継続してやったのは初めてだったから、始めた、と言うほうがいい。22日のトーク・イベントでも柴田さんから話が出たのだった。モーニング・ページも、ある種の「場」で、「メディア」ですね、と。

2016/12/26

いまは休め、ぼ〜っとしてろ

 数日前から「あぶないな」とは思っていた。自分の体調のこと。熱が出る前ぶれのような感触があった。それなのにぼくは不摂生をして、24日の夜から、ばっちり熱を出してしまったのだった。熱といっても、37℃台前半をウロウロしている微熱つづきなのだけど、だるさと頭痛がひどくて、クリスマスの日はほぼ寝て過ごすことになってしまったが、クリスマス・ディナーのチキンとサラダは美味しく食べられた。しかしパスタはダメで、なぜかケーキは食べられるという妙な体調(あっさりしたケーキだった)。ここにきて疲れが出てしまった。最近は少し無理もしていたかもしれない。いまは休め、ぼ〜っとしてろ、ということかもしれませんね。これを読んでいる皆さんも、どうぞお体を大切に。

2016/12/25

サンタはたしかに

 子供の頃にサンタクロースとか、ドラゴンとか、いるはずのない架空の生き物を心底いる、と信じることが人間には必要なんです。その数が多ければ多いほど、子供の心の中に、椅子ができる。大人になってゆくと、なあんだ、サンタクロースなんかいないじゃん。と、そこに座っていた架空の生き物たちは消えてしまいます。でも、それまでその椅子を温めてくれたサンタクロースのお陰で、人は、大人になって愛を知った時、今度は本当に大事な人をそこに座らせることができる。(渡辺茂男)

 うちの子にも、無事、サンタクロースがクリスマスのプレゼントを持ってきて、置いて行ってくれた。ありがとう。朝、目をさまして、枕元に置かれた大きな包みを見つけたときの、彼の声、表情をパパとママは忘れないだろう。そして、ぼくは幼い日の自分と、自分の両親のことを思うのだった。ぼくも、その気持ちがわかる、親になりました。

2016/12/24

心地よい嵐のあと

 2016年さいごの山というか、怒濤の10日間を乗り切って、ちょっとぼーっとしてる。昨日は朝からまったく頭が働いていないような状態で(前夜に使いすぎた?)、でも、不調は不調なりに何とか乗り切りました。夜は、今年会いたかったのに会えなかった人たち(ほか)に声をかけていて、親しくしている某家で忘年クリスマス会を。こどもたち、ご機嫌!

2016/12/23

「ライブ」の力

 もしかしたら参加者は、別の場所で何かしらの主催者になっている方がいいのかもしれません。というよりも、生きている限り、何かしらの主催者になっているはずです。(片山絢也)

 トーク・イベント「“いま、プライベート・プレスをつくる”ということ」は、春の嵐(12月なのに)のような天気のなか、無事に開催。のっけから質問が飛び交う意外な(?)はじまり方をして、最後の最後まで話が止まらない。いや〜楽しかった! ライブ=「交感」の場、と言うけれど、まさにそれで。ご参加の皆さんに力をもらって、自分でも予想できなかった、いい話ができました。感謝。もちろんトークの相手・柴田さんにも。
 すごく面白かったので、またつづきを…? という話もある中、その前に今回のトークの記録(どんな話をしたの?)を残す作業をしようと計画中。もちろん『アフリカ』に載せることも検討中で、もしかしたらウェブに載せる部分もつくろうかな… と考えてます。

2016/12/22

正座をして見る

 正座をして、レンタルしてきた「おかあさんといっしょウィンタースペシャル」のDVDを見る光海。後ろ姿が、パパにそっくり? パパはその後ろ姿を横目に見ながら仕事をする平日の午前中のゆったりとした時間が好き。

2016/12/21

踵骨棘

 じつは先週の半ば頃から、左足を負傷してしまった。とはいえ、気づいたら、あれ? おかしいな? で、じっとしていると何ともないのだが、歩き出したときに左足の踵がギュッと痛み、そのまま我慢して歩いていたら痛みは消えてゆく。それがずっとつづいている。今日、少し電車が遅れて、外出支援の開始時間に遅れそうになったので、小走りした。そうしたら、その後、バスに乗り、降りたところで、地獄がきた。これまでになかった痛みに襲われる。歩いていても、痛みがとれない。困った。びっこをひきながら支援をして、見た目には、どちらが障害者なのだかわからない、そう考えると可笑しい。調べていたのだが、「踵骨棘」という症状に、ピッタリあてはまっている。ほぼ間違いない。いまは走ってはいけないということだろう。小走り必須と思われる支援からは外してもらって、空いた時間に整形外科に行こうと思います。が、簡単には治らないという話もある。仕事に支障が出るとなるときついけれど、休めということ。何か新しいことをやれということかもしれない。で、今夜は「ゆず湯」に行ってきた。

2016/12/20

記録

 22日のトーク・イベントにむけて、ご来場の皆さんにお渡しする「読み物」を、例によって、つくった。そういうところに手を抜くことができない人になってしまった。だから、なかなか、頻繁にはできない。ぼくのやるイベントには、そんなにたくさんの人が来るわけではない、こぢんまりとした会なので、そこまで考えなくても… と言われるかもしれないといつも思うのだけれど… しかしぼくの考えていることは、このタイミングで何が話せるか、何を考えられるか(自分が)、何を手渡せるか、で、次があるとは思っていないから、この場を記録して残そうという気持ちもあり、それはたぶん、ようするに、『アフリカ』次号を見ればわかります。

2016/12/19

ラジオの聴ける世界地図

 「Radio Garden」というサイトを紹介されて、愛用している。これ、世界地図のなかに緑の点が配置されてあり、そこに登録されたラジオ局の放送をライブで聴くことができるというサービス。日本のラジオは多くが音楽に力が入っていないので、さまざまな音楽を聴かせるラジオが常時こんなに聴けて、夢のよう。写真は渋谷のタワーレコード5Fに開かれている「パイドパイパーハウス」にて。

2016/12/18

電波の海の底

 金曜にアレッポ虐殺の情報を得て(木曜の時点では知らなかった)、いまのところは安全な(と思われる)東京の電車のなかで読みふけり、爆弾が落ちてくるなか、いつ殺されるかわからないような(そして周囲ではたくさんの人が無差別に殺されている)状況で恐怖に、絶望に陥っている遠い国のこどもたちやその親、家族を、ほとんど知りもしない、ことばも知らない人たちの心配を安全な場所でする。行った先でその話をするが、誰も知らない。日本ではほとんど報道されていないからだ。その日本(ここ)では、総理大臣がその攻撃に加担している側であるロシアの大統領を招いて接待しているニュースが流れている。政治もニュースも、日本は日本だけで世界が成立しているようだ。いまの報道機関が失っているのは、取材能力だね、という話をする。地に足をつけて走り回り頭で考えることだ。頭は空を飛びながら足は地につける。いつになったら出来るようになるだろう。

2016/12/17

精神のリレー

 私たちが生きることは呼吸から歩くまで無意識の行動に充ちている。感じるままにからだが動き出すことなくして、人は卒直にジカに他者とふれあい心を通じることはできないし、創造の仕事など始まりようがない。だが現代社会は挙げてこれを抑え、意識が身体部位をコントロールすることのみを「教育」として青少年に押しつけている。(竹内敏晴)

 アトリエでの2016年度の授業も、大詰め。ぼくは相変わらず(自分が行なっている)アトリエの授業からたくさんのことを学んでいる。学生たちも同じような姿勢で望んでいたら(その人にとって)最高の時間になるはずだ。けれど、これはそう言うほど簡単なことではないのだろう。たとえば10年後、彼らがふとしたときにぼくとの時間を思い出して、あぁ、あんなことを言っていたなぁと思ってくれたらと思う。「精神のリレー」というのは、埴谷雄高さんのことばだっけ。ぼくも、10年後、20年後のいま、思い出すことがたくさんある。

2016/12/16

「なぜ?」と「どうやって?」

 ときに「なぜ」は野暮で攻撃的にもなりうるし、そう問うたとしても目の前の「わからなさ」に対してなんの意味ももたらさないってわかっているんだ(志賀理江子)

 宮城県名取市の北釜地区の海沿いに移住した志賀さんが、撮影にあたって、北釜の人たちから「どうやるのか?」は訊かれるが、「なぜそれをやるの?」とは不思議なほど訊かれなかった、という話から(『素手のふるまい』から)。昨夜、しむらまさと君と一緒に「おおたTS」に参加したら、統合失調症やアルコール依存症の支援をしている方が「なぜそんなことをするの? と聞いても応えてくれないんです」という話をされていた(うる覚え)。ぼくもつい(自他に向かって)「なぜ?」と問うてしまう。「なぜ?」ばかり考えていることもある。けれど、困ったら「どうやって?」に向かえばいいんだ。と、書いて、べてるの家のエピソードを急に思い出した。どうしてアルコール依存症になるのか? を研究するんじゃない、どうやったらアルコール依存症になれるのか? だと。

2016/12/15

『さわやか通信』を並べて眺める。

 さわやかワークセンターの広報紙『さわやか通信』、これまでの号をずらっと並べてみる。2ヵ月に1回、打ち合わせて、最近の話を聞き、さわやかの利用者さんたちや、就労していった人たち、就労先の担当者、さわやかの職員、かかわりのある人たちを思い浮かべて、「こういう話を聞いてみるのは、どうです?」と提案したり、相談を受けたりしながら進める。出来合いの「デザイン」を提供するのではなくて、彼らの抱いているイメージやことばをそのまま(読む人に)差し出すようなつもりでやっているのだけど、こうやってずらっと並べてみると、その一回一回の広報紙からハッキリはわからない、彼らの姿勢がよく見えてくる。いいなぁ。自画自賛?(大田区役所1階のカフェCosmo他に置かれてます。機会ある方はぜひお手にとってご覧くださいね。)

2016/12/14

いろんな役割

 柴田大輔さんとのトークイベント「“いま、プライベート・プレスをつくる”ということ」まで、あと1週間ほど。
 柴田さんによると「SNSなどを通じて誰もが情報発信しやすくなった今、外に向けて語りかけること、それによって生まれる自分と世界との関係、などなど、普段何となく接していることについて、下窪さんの話を聞きながら考えてみたいと思います」とのこと。気になる方はぜひ気軽にお越しくださいね!
 ぼくの捉えている「メディア」には、「発信」以外にも幾つか重要な機能があり、そんな話を前段でしつつ、「個人」「いま」「評価」「仕事」「本」「場」といったようなキーワードを挙げつつ、『アフリカ』をはじめ、自分がこれまでにかかわってきた「メディア」の話をアレコレする予定です。徐々に準備中。どんな話ができるのか、自分でも楽しみです。

2016/12/13

「解釈」のことばへの反発

 私は「デーム」とは、「歌」と「楽器の音」と「踊り」と「享楽」という四つの要素が合わさったものではなくて、ありありと生きられている単一の実体であって、私たちのことばが、便宜的にそれらの要素を識別するのだと思った。そこには、一切の拘束から自由に、いかにも確かに、いかにも活き活きと、自分たちの音とからだの躍動を生きている人たちがいる。私はそのとき、逆説めいた意味など少しもなしに、この人たちは「豊か」だと思った。(川田順造)

 いわゆる「研究」は、たいていの場合、その対象を「分析」して、場合によっては「分解」もして、その姿をわかりやすく「解釈」しようとする(傾向にある)。しかしぼくはいつもその「わかりやすさ」を警戒している。たとえばぼくは吃音にかんして言われている「解釈」に反発するのだった。その「解釈」に、ぼくは自分の吃音を合わせようと思わない。

2016/12/12

最終コーナー

 今日で光海が生まれてきてから2年と9ヵ月がたった。まぶしいほどの成長ぶり。よく喋り、よく笑い、よく怒り、よく泣く。(泣き真似も様になってきた!)身体能力もどんどん上がってきた。

 パパはこの数ヶ月、取り組んできた仕事が最終コーナーで、忙しさが弛んできた。年末年始は、また、自分ち(アフリカキカク)の仕事もしっかりやります。少しサボりかち。すみません。

 写真の説明。彼は線路を走ってる汽車のつもり。

2016/12/11

ダラダラ礼賛

 この日(今日)が休みなのはなぜ? と思っていたけれど、昨日、妻が急に下痢、嘔吐のち高熱でウィルス性胃腸炎のようになってしまって、今日は家にいたほうがいいよね。そういうことだったのか! と納得して家でゆっくり息子の相手をしたりパソコン仕事を進めたりした。ダラダラするのは大好き。嫌いな人もいるでしょ? ぼくは大好き。ダラダラ礼賛。毎朝のモーニング・ページで、少しずつ、22日のトーク・イベント「“いま、プライベート・プレスをつくる”ということ」のネタ出し(ひとりブレスト)をしているんだけど、「ダラダラ」も自分の場合は大事なポイントかもしれないな。Twitterを眺めていたら、「売れてはじめて本は本になる」と言っている人がいたんだけど、あなたが手もとに置いて読んでる本は「商品」じゃないよね。あ、「商品でなくなる」ことが「本」の条件だと言いたいのかな(そういうトコロはありそう)。ちがう感じがしたのだけれど。

2016/12/10

冬の音

 今日の外出支援は、バドミントンをしに。外はいい天気だったが、体育館の中は冷蔵庫のよう。それでもからだを動かすと汗ばむ。見ているこちらは凍えていました。札幌では50センチ雪が積もって電車が止まったとか言ってる。気づいたら冬になっている。我が家ではもう数週間前に妻からクリスマスの音楽をリクエストされてたくさん出してきている。音楽を聴いているとき、温かいものを食べているときは幸せ。音も、いろんな音があたたかく感じられる。冬はあたたかい季節なんだ、と言う人が、20歳くらいの頃に初めて書いた小説の中に出てきたっけ。

2016/12/09

鉄道のナイアガラ

 必然はいつも偶然の仮面をかぶってやって来る。(大瀧詠一)

 先月くらいから、光海は「ないあがら、いきたいね、ないあがら」とくり返していた。今日はその彼の願いを叶えてあげる日にしよう、と話していた。あのナイアガラじゃないよ(あのってどれ?)。祐天寺にある鉄道マニアのカレー屋さん。パパが休みの日には定休日であることが多くて、今日ようやく行けたのだ。機関車が新幹線に入ったカレーライス(こども向け)を運んできてくれる。新幹線カレーだけじゃなくて、全てはこの機関車が運んできてくれる。光海はもう大興奮で。よかったねぇ。そしてカレーが美味しかった。近所のサラリーマンみたいな人たちもカレーを食べに来ていて、いい感じ。しかし、シャレがききすぎるくらいにきいている。

2016/12/08

〈教育者〉としての小川国夫

 久しぶりに『藤枝文学舎ニュース』へ寄稿しました。「『夕波帖』のむこうに」というタイトルで、小川国夫のことを… というより、小川先生との懐かしい思い出を書いた。こんな個人的なことを、こんなふうに書くのは初めてだったのではないか。
 依頼を受けて、書きはじめるまでの間に、吉祥寺のアトリエのスタッフに話したら、「こわくなったかの話はどうですか?」と言われた。(どんな話でしょう?)
 まさかそんなことを書こうとは思っていなかったが、よく考えてみたら、自分が直接付き合った「小川先生」の話は、親しい人にこそ話しているけれど、ほとんど書いたことはない。そろそろ、少しくらいなら、いいか、と思って書いてみた。なんというか、〈教育者〉としての小川国夫(本人は「不良教師だな」とか言うかもしれない)がどんな人だったか、少しでも伝わればいいなぁ。今回の『ニュース』には、小川の同級生・仲田弘之の特集もある。仲田さんは、学校経営をしていた人。教育者か… そういうことだったのか…(ただの偶然かもしれません)

2016/12/07

違和の感覚

 作品によってアートの歴史を書き換えたい、人々に承認されたいという欲望よりもずっと以前に、自分の中に生じた固く小さな棘のような、違和の感覚。それをどうしても見過ごせない人が、誰に頼まれたわけでもなく何かを作り始める。世界に対して受動的でしかない己の存在を、なんとか能動的なものに作り替えようと試みる。そのような止むに止まれぬ無償の行為とそこに賭けられた闇雲なエネルギーが世界の表面に残した痕跡を、他に名付けようもなく「アート」と言うのです。(大野左紀子)

 鷲田清一『素手のふるまい』を読んでいたら、出てきたことば。その「違和の感覚」を手放せずに来た。だから、つづけている、というと少し違う。やらずにはおられなかった、その衝動がずっと「つづいて」いる。

2016/12/06

小さな信号

 今日は夕刻まで色とたわむれていた。若い時の私ならこういう時、色と格闘していたと言うだろう。(志村ふくみ「色と音」)

 家では「作業」に忙しいので、自分の原稿は外出支援の合間とかに少しずつ書いている。いまやっているのは「S・すたいるへの手紙」というタイトルで書きはじめていたもの。自由気まますぎてハチャメチャだ。しかしなるだけぼくが受け取ったままに書いている。
 その「S・すたいるへの手紙」を書きながら手元に置いているのは、志村ふくみ『一色一生』で、久しぶりに読んでる。──ぼくはいま、ことばと格闘する感じではなくなってるな、と思う。
 ことばに対して苦手意識をもつ人たち、とくに若い人たち、こどもたちに、ぼくは何と伝えられるだろう。肝心なのは書くこと、話すことではない、読むこと、聞くことだ。発信ではなく受信。ひとりきりでいい、人知れず、震える小さな信号を受け止めること。

2016/12/05

速水御舟の旅をめぐって

 無理をしてまで展覧会を開く必要はないと思ふ。今の世は内容より以上のものを人に見せつけようとする争の巷(ちまた)のやうに見える。(速水御舟「絵画の真生命」)

 昨日まで山種美術館で開催されていた「速水御舟の全貌」はすごく面白かった。先週のアトリエには速水御舟の文章を集めた『絵画の真生命』を図書館で借りて持って行き、授業後にみんなで読んだ(授業中にはセンター試験直前対策をやっている)。御舟は40歳のときに急死して筆を置いているんだけど、その死に様にも触れた追悼文になぜか皆、笑いが止まらなくなり(だって愛のある可笑しみに溢れていて)、死の5年前にヨーロッパ放浪というような旅を半年以上もしている年譜を見ながら(ほとばしる好奇心と体力!)、買ってきたポストカード(まるでセザンヌのようなカッコいいスケッチ──今回展示はされていなかったのだけれど)に書かれている「ベルラヂオ」という地名を探したり、その行程が何なのかみんなで話したりした。

2016/12/04

「伝える」と「通じる」

 ぼくには、「自分の伝えたいこと」なんてあるだろうか? あるとして、そんなことが「伝えよう」とする前からわかっているだろうか? ある人たちには、そんなに「自分の伝えたいこと」があるのだろうか?
 自分が「わかりたい」という気持ちは常にある。いろんなことに対して。「それはわからなくていいんだ」と言うことはあっても本当に「わからなくて(もどうでも)いい」と思っていることはない。
 「わかる」とか「気づく」とか、ということを、他人任せにしたくない。そこで自分の仕事をしていれば通じる人には通じる。いま、ぼくは「伝える」ではなく「通じる」ということばを使った。

2016/12/03

いま(2)

 よき時代の巨匠達を恐れずに眺めてみるがよい。彼等は規則正しいもののなかに、不規則なものを創造した。サン・マルコ寺院は全体としては規則正しいが、同一の細胞は一つもない。(ルノワール)

 (昨日からのつづき)“いま”って、何だろう? “いま”は過去? それとも未来? 常にいる場所? それとも常に動きつづけている? “いま”はどんな色? どんな姿をしている? そんな問いを立てて、頭に思い浮かんだことばを次々と流れるようにモーニング・ページに書き込んで、1ページ、終えて、今日も外出の仕事へゆく。(“いま”をどう捉えているかという話も22日に出来るかなぁ?)

2016/12/02

いま

 ところで、“いま”って、何だろう? どんなものだろう?

 写真は横浜美術館で12/14まで開催中の「BODY/PLAY/POLITICS」展から。

2016/12/01

「“いま、プライベート・プレスをつくる”ということ」の続編

 先月は少し休みました。お元気ですか? 今日から12月。今年もあと僅か、ですが、好きな季節です。今月は再び、ここでも毎日書く予定。

 今月は22日(木)の夜に、久しぶりのトーク・イベントをやります。『アフリカ』最新号に書いている写真家・柴田大輔さんとの対談。しかも、2013年1月に開催した「いま、“プライベート・プレスをつくる”ということ」の続編的な内容になりそうです(なので同じタイトルがつきました)。いちおうのお題は「個人がメディアをもつこと」で、それをめぐるイロイロサマザマなことを話そうと計画中。柴田さんは「個人が自分の伝えたいことを伝えるためにメディアをもつというのはよくあることだけど、『アフリカ』のように複数でやるというのはどうして?」と質問を投げてくれてる。聞かれて、はじめて、あぁ、そんなことを考えるんだ? ということがわかる。だから面白い。22日、お時間ある方はぜひ。

2016/11/15

愛唱歌

 このブログの更新、最近は休みがちですが、今月はもうしばらく休みます。おかげさまで多忙、というか、不器用ゆえに至らない部分あり、ご迷惑おかけしている方へはすみません。今週の日曜は久しぶりに外出支援の仕事に行くのが辛かった(あまりないです)。昨日なんて一日中家で仕事しながら妙にイライラしていて家族にも迷惑かけてるかも。しかし迷惑はかけるもんだとも思っている節もあり、どうかお許しを。仕事をしながら、土岐英史さんの新作「Missing What?」にはすごく励まされてる。今回はとくに初めて聴くドラマー奥平真吾さんのプレイが光ってる。詳しく書きたいけど、そんなことを書いている場合じゃないんだった。1曲だけカバーが入っていて(ほかは土岐さんのオリジナル曲)、「In The Wee Small Hours Of The Morning」というスタンダード。関西にいたころ、よく土岐さんのセッションを聴きに行っていて、ジャズ、ファンク、ブルース、ポップス、どんな趣向の夜にも、この曲は必ずと言っていいほど演奏していた。土岐さんの愛唱歌、と勝手に呼んでいた。ぼくも口ずさみながら書いた。

2016/11/04

パワースポット

 情緒というのはすごく具体的なものだと思うんです。(高瀬正仁さんのことば)

 アトリエで授業の日、とってもいい天気で朝から気分いい、午前中は息子とふたりで馬たちに会いに行くことにして散歩に出た。ここは、いわば、ぼくたちのパワースポット、だね。元気で走っていて、馬たちも、息子も、気持ち良さそう。さ、がんばろう。

2016/11/03

千円札の天日干し

 しむらまさと画伯の家で起こった朝の事件、洗濯したズボンのポケットに千円札が! というので、丁寧にはがして窓際で天日干し。これがまたいい天気。あっという間に乾いてカピカピになりました。あらためて思った、お札の印刷技術というのは(もちろん知ってはいたけど)凄いんだなぁ。干された千円札はしかしどこか愛嬌があり、あまりピシッとしていないほうが親しみを持てる。ような気がする(窓に貼り付けて乾かせばピシッとなるよと教えてくれた方もありました、そうしたい人はそうしてください)。

2016/11/02

ひとりごと

 狙ってないところを狙っている。狙っていないところをあえて探してそこに落とすというか… 意図しないことを意図してる? とか、ぶつぶつ言ってる。

 秋になると府中の空が恋しくなる。この写真は府中本町駅の近く。2010年の春に大阪からびゅーんと府中に飛んできて以降は、そのあと横浜に引っ越してからも、ただただ、てくてく歩いてずっときた。

2016/11/01

11月のふたり

 11月は雨の朝で始まった。しかし「外出支援」に出かけたら止んで、あとはきれいな秋の空になった。ぼくが最も好きな季節、たのしもう。しかしここ数年で最も忙しい時期になりそうでもある。気合いを入れていこう。自分で自分を盛り上げていかないといけない時期というのがある。だから自分にとっては、テンションを上げていくにはもってこいの時期だ。朝のノート(モーニング・ページ)は相変わらず毎日欠かさずにやっている。相変わらず行為自体が目的で結果を見ない。『アフリカ』に載せる原稿もそれに近いものになってきていて、坦々と書きつづけることが目的で、あとはどうにでもなれという気持ちがどんどん強まってきた。というよりそうするしか書きようがなくなってきた。他の頼まれ仕事にかんしてはそうはいかない。しかし「創造」の力が最も生きるのはそういう社会性の強い仕事ではないような気がしている。帰宅したら(窓際ではなく)洋服箪笥の扉に、このふたりが。

2016/10/31

ブギウギ特集

 この世に一拍子という考え方はないけれど、ぼくは常々「ブギウギは一拍子だ」と思っていた。ひとつひとるの拍子が独立して、それが無限につながっていく。(細野晴臣)

 週明けの月曜、じっくり朝寝をして気分爽快、「Daisy Holiday!」を録音で聴く。Radikoには最近「タイムフリー」機能というのが出来て、番組によるけれど、放送から1週間は(1台のパソコンからだと3時間の間だけという縛りはあるが)いつでも聴ける。ちょっぴり複雑な気もするし自分は相変わらず決まった放送は録音して聴いているのだけれど、便利は便利。便利なものには思わず巻かれてしまう。なのでリンクを貼ったのはインターFM「Daisy Holiday!」のサイトではなく、Radikoのサイトを貼りました。今週は「ブギウギ特集」、10代の頃、The Beach Boysのレコードを聴いていたらブギウギのピアノ曲が入っていて、それ以来好きなのだ。

2016/10/30

かけらもないさ

 「外出支援」の現場には、当人が行きたい場所へ一緒に行くサポートもあれば、どこでもいいから外出させてくれという場合もある。「どこでもいい」と言われる場合には、当人と相談しつつ(ことばが使えなくても相談はできるのであります)「どこか」へ出かける。ぼくの行きたい場所へ連れて行くというのはわかりやすい例かもしれない。ただし、行きやすい場所、行きにくい場所というのもある(距離とか場所柄とか)。できれば自分ひとりでは行かないが、彼と一緒ならちょっと行ってみてもいいな、と思う行き先を考えるようにしている。で、今日はあざみ野へ。ギャラリーでは「悪い予感のかけらもないさ」というグループ展をやっていた。

2016/10/29

実家のような場所

 久しぶりに珈琲焙煎舎に顔を出してきた(もちろん珈琲を飲み、珈琲豆も買って、常連さんからお菓子をいただいたりもした)。焙煎舎は相変わらず、のように見えて、少しずつ変わってきているのかなぁ。成長していると言ってもいいかなぁ。でも変わらない部分は変わっていなくて、相変わらずぼくにとっては「実家」のような場所(オープン時には店の裏手に住んでいた)。店主は妹(?)のような感じで。その珈琲焙煎舎が11/11で5周年を迎える。もう5年? まだ5年? その頃にはまた家族でお祝いに行きます。(写真に写っている瓶が何か気になる方はお店で訊いてくださいネ。何? 気にならない? そぉいわずに。)

2016/10/28

違和感は宝物〜ルーサイトギャラリーの「しょうぶ学園展」

 浅草橋のルーサイトギャラリーへ行ってきた。「as we are : 描く コト と、縫う コト しょうぶ学園展」とドキュメンタリー映画『so:but[and]=1.2.3.4-あらかじめ,情動の.』上映を観て、福森伸さんと内田明夫さんのトークに耳を傾ける夜。図々しく打ち上げの席にまで参加させてもらって、気になっていた人たちに「会う」ことができたのは幸いだった。書かれたものや映画からは伝わりづらかったものがいろいろ感じられた。はっきり言うと、5月にしょうぶ学園で感じたあの感じは、ルーサイトギャラリーではあまり感じられなかった。けれど、そこにいまぼくの離れられない、何というか、違和感のようなものがある。「違和感がある」というのは、最近の人が悪いことのように言われるのをよく聞くが、ぼくはそうは思っていない。違和感は宝箱のように感じられる。いろんな矛盾を抱えてやっている(きっと、みんな)。もっともっと大事にしてあげようと思った。写真は自分への(クッキーは妻子への)お土産、さすがシャレてる。

2016/10/25

ある本と、ある人の話

 子どもの気持ちを、大人が見下ろして分析するより、わが身をふり返り、思いだして共感したい場面は少なくないはず──なにしろどんな大人も、かつては子どもだったのだから。(山本ふみこ「思いだす」)

 横浜へ引っ越してきた頃、図書館で借りて、そのあとも何度か借りて読んだ山本ふみこ『親がしてやれることなんて、ほんの少し』を先日、たまたま見つけて買った。ウェブで買うことは出来たのだけれど、どこかで、バッタリ出会うのを楽しみにしていた(この数年間)。もったいなくて、なかなかページを開けない。そしていまぼくは小川国夫さんの話を久しぶりに書いている。これまであまり書いたことのない話、人に話すことはあっても書かないできたのだけれど、いま書く気になったのは、吉祥寺のアトリエでの毎週の授業を通して、だった。原稿依頼が来たというのもタイミングというものか。いまはいろいろ抱えていて、時間の余裕はないのだけれど、断れない仕事というのがある。

2016/10/22

長井港のつみれ汁

 久しぶりに長井港へ足をのばしてきた。三崎口からバスに乗ってゆく。観光客はみな三崎港のほうへ向かうから、こちらは静かな海岸が保たれてる。直売所で売っている弁当(海鮮丼500円)と、つみれ汁(100円)をいただいて、あとは海岸をずっと歩いた。「外出支援」の仕事で、たまに行く。いつか(仕事でなく)妻子と一緒にも行きたい。

2016/10/19

ジャパニーズ・フード

 今夜の「外出支援」で連れていかれた高円寺の(いわゆる)洋食屋さん、飾りげのない店で、しかし完璧な「ハンバーグステーキ」(ライスとみそ汁つき)が出てきた! これで500円。

2016/10/18

空は秋

 再び夏がやってきたような天気で、「外出支援」では半袖になって過ごした。しかし見上げると、空は秋だ。

2016/10/17

何かいる

 昨日の上映会のあとで、光海へお土産をいただいた。何だろう? 朝になって起き出してきた彼に手渡す。よく見ると、『はらぺこあおむし』の包装の紐に、むむ! 何かいるぞ! と光海の心はワクワク。満面の笑みを浮かべて、ぱぱ、これなぁに?

2016/10/16

私たちの映画、私たちのことば

 語ることがまことのことばを封じ込める、ということがないだろうか。まことのことばを知るためにこそ、わたしたちは聴くことをまなばねばならない。(鷲田清一『「聴く」ことの力』)

 映画『私たちの話し方』上映会にお越しくださった皆様、ありがとうございました! 吃音の人が何か主張してるような映画ではないし、いろんな人の声が入っていて、映像も素晴らしいし(マイケル、どんな人だろう? まさか映像の素人ではないよね?)よかった〜。と話しつつ、つづきはまた? どこかで。今日の上映のこと、映画のこと、今日の語り合いのこと、ゆっくり振り返ろうと思います。

2016/10/15

汽車ポッポの公園

 妻の誕生日、最近借りてきた本で知った大森の交通公園へ行く。もっとも我々は「汽車ポッポの公園」と呼んでいる。光海は運転席に入り浸って、いろんなところを触り、大喜び。汽笛がなり、車輪が動く時間になると、多くのこどもたちがやってきた。光海は最初こそビビっていたが、すぐに慣れて、動く車輪をずっと見ていた。公園を出たあとに彼が言ったのは「きしゃぽっぽ、はしらなかったねぇ」でした。で、妻の誕生日、美味しいカレーを食べて、公園で遊び、「大九州展」とデパートの地下で少し買い物をして、穏やかな日だった。

2016/10/14

沈黙に慣れること

 ここのところ、吃音の調子が悪い。吃音サンの側から見れば「絶好調」とも言える。と、最近はよく言っている。数年に一度あるかないかの「波」がきてる。こういうときは、良くも悪くも、何かが起こりやすくなる。坦々とはいかない。しかし、楽しみでもある。どうせなら、面白い出会い、面白い発見を得たい。

 週に1度の授業でも、最近、ぼくは話そうと思うことの多くの割合を諦めてしまっている。それでも何か訊かれたら無理してでも応えるのだろうが、訊かれないと話さない(話せないというか)。その分、いつも以上に準備してゆく文章は良いものを、と思うが、それも読まれなければどうしようもない。ぼくがぺらぺら喋って、うまいことをいっぱい言って、みんなを気持ちよくさせて、学んだ気にさせるより、ぎこちなくても、このほうが彼らのためには良いのかも… 自分にはどうか… と考える。まずは声の出ない時間… 沈黙に慣れることだ。

2016/10/13

秋の風

 昨夜、ある人に吃音の話をしたら、「下窪さんは下窪さんで、吃音さんではないから」と言われて、嬉しかった。まったくその通りで、同じように、知的障害のある人も(どんな障害のある人も)「障害さん」ではないのだ。

2016/10/12

お会式コント

 からすの画伯がピアノ教室に行くのに付き合う夜。池上はお会式で祭りの真っ最中。画伯は「お祭りで、晩ご飯?」とご飯のことしか頭にない。祭りを眺めて楽しんでいる付き人(ぼくのこと)をヨソに「あ、ほら! ポテトもってる人がいた!」とポテトを買うことで頭はイッパイ。夜店を前にしたら、あれも、これも、あ、やっぱりあれも、とついつい買いすぎて、でも、年に一度のお祭りだからね(たぶん)いいよね、と付き人もつい甘くなってしまった。しかし、帰り際、「あ! 小さいたこ焼き!」と先ほど買ったたこ焼きはナシにしてまた買うとおっしゃるのでふざけるなと「口論」になりましたとさ。(注:画伯は自分のことを「こども」だと思っている…かどうかは知りませんがそうだと言い張るというので知られています。「こども」は「ちいさい」ものを好むのだそうです。)