2016/01/26

ちいさなピアノ

 ことばとは、確定され、文字に書かれ、まぎれなく発音されるというものよりは、はるかに根源的な何かであるのではないか。(竹内敏晴)

 久しぶりに『ことばが劈(ひら)かれるとき』(竹内敏晴)をめくっている。2009年の年末、勤めを止めようと決意しはじめたころ、当時は毎朝、少しずつ音読することでしか読まないと決めて読んでいた文庫本。竹内さんが来るはずだった大阪吃音教室で、追悼の語り合いが行なわれた。そのころ、近くの古本屋で見つけて買ったのだった。大阪吃音教室に出会った翌週だったか。ぼくは竹内さん本人には会いそびれたが、すばらしい出会いであった、とは言える気がしている。
 写真は先週の光海。かれとの遊びは、いろんな可能性を秘めていて、ぼくからすれば、いろんなアイデアの宝庫にもなる。妻もそう思ってるはず(?)です。

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