2016/03/02

小さな畑をあちこちに

 意味というものは生涯をかけて生成する。しかし、感覚は意味よりも先に存在し、意味に意味を与えていくだろう。(アラジン・マシュー)

 『水牛のように』3月号を眺めていて、西大立目祥子さんの「仙台ネイティブのつぶやき(11)5年目の畑で」を読んだところだ。あの震災から、来週で5年がたつ。西大立目さんが伝えてくれた仙台の農家の人たちのことばは、ビーン、ビーンと響く。「農業を産業としてだけとらえると、人が土に向かって働きかけて生きてきた初源の感情や多面的な価値はたぶん失われていくだろう。小さな畑をあちこちに、生み出すことはできないのだろうか。」──小さな畑をあちこちに、生み出すことはできないのだろうか。そのためには、生きている畑を殺さないで生かさなければならない。もう生まれてくるものを殺さないで。いま日本人は(「食っていくため」などと言いながら)いろんなものを殺しすぎているのかもしれないよ。

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