2016/05/31

何かの役にたつように、などと考えないように。

 ひとりだなぁと思っちゃったんじゃない?(ある日の「モーニング・ページ」から)

 1ヵ月前にここで何を書いていたか見返すと「再開の4月」と書いてある。あぁそうだった。今月は、じつは帰省の間は休んだのだけど、それ以外は毎日「モーニング・ページ」をやった。つづけていると、あらためて、ただ、つづけることが大事なんだ、と感じられる。何かの役にたつように、などと考えないように。「モーニング・ページ」は、ただの排泄(ことばの)だ。とはいえ、そろそろ、少しだけ見返してみてもいいかな? と欲が出てきたので、見返してみると、自分でも意味不明な箇所が見えてくる。よくわからないが、心にひっかかったことばの息吹が感じられたら、それでよし。「わかる」ことより「生きている」ことのほうが大事だ。「モーニング・ページ」を開いていない時間、表紙には、1月に葉山で観て以来お気に入りのヘレン・シャルフベック「少女の頭部」のポストカードを挟んである。

2016/05/30

変えてはいけない。

 めまぐるしく変化する世の中と法律。しかし、彼らのマイペースな生活は何も変わらない。また、変えてはいけない。そして変える権利は誰にもない。(長谷雄二)

 先日の帰省のお土産(自分の)で最近の愛読書『しょうぶ学園40周年記念誌』から。じつは最初、手にとって、何気なくめくったページに書かれていてぼくの心のなかにしのびこんできたのはこのことばだった。
 先週の金曜にオバマ大統領が広島へ行き演説をしているのを、ようやくじっくり聴けた。ぼくはそのことばを、政治家というよりも文学者のように感じながら聴いたが、その感覚はじつはどこかで狂ってしまったものだったかもしれない。政治家こそ本来、そうであらねばならなかったはずなのに… そのあと、日本のダイトウリョウが挨拶するのを聴くことはもう省略したかった。

 写真は、光海による「おまるのもうひとつのつかいかた」。

2016/05/29

雑感

 久しぶりに珈琲焙煎舎に立ち寄れた。時間がたつにつれ、たくましい店に成長していると感じる(なんか偉そうに言ってみただけです)。レジのところには『アフリカ』の「最新号」で店主のインタビューが載っているページが相変わらず置かれている。まさかその後、1年も空くとは…(現在、鋭意準備中。準備が好きですネ。)
 なになに… 「一期一会の珈琲」だって? 1年前はそういう話をしていたんだ。あれから、焙煎舎も少しずつ変わってきてる。ぼくも変わってきてる。と、『アフリカ』も変わってくるわけで、おたのしみに、というところ。現在のところ、次号は「8月号」になる予定です。ぼくは10年前を思い出してる。初心に戻る、というのも、この際、ある程度は悪くないような気がしている。

2016/05/28

「光源の島」と共に

 昨日はアトリエへ行く前に新宿の空のほうにあるギャラリーに寄って東松照明「光源の島」展をみた。1972年の沖縄の「本土」復帰の数年前から、亡くなるまで、沖縄の島々で写真を撮りつづけた東松さん、今回は1973年から1991年までに撮られた写真の、90年代に展示されたことのあるオリジナル・プリントの数々が展示されている(最近になって宮古島で発見されたものらしい)。じわあっと奥ふかくまで沁み込んだような力強い「光」の集まりが、眼の前にあった。いちおう説明を、と思って知ったようなことを書いたけれど、最近、赤々舎から復刻された『新編 太陽の鉛筆』を図書館で見て、知ったのでぼくにはすごくフレッシュなのだ。東松さんの写真は印刷物で見ても視線の向きが面白い。そして話を聞くと政治的なものが内包されているようなのにすごくプライベートだ。せっかちな人というか知識人ぶった人(?)のなかには、写真を見るだけでは「わからない」という向きもあるかもしれない。が、こういう「視線」は信頼できるとぼくは思う。(と、書いてからこんな記事を見つけた。ご参考までに。)

2016/05/27

「見えないもの」を見る旅

 リーダーシップは「見えないもの」を見る旅だ。ある人が、「見えないもの」、つまり現在、現実には存在せず、多くの人がビジョンや理想と呼ぶようなものを見る、もしくは見ようとする。そして、その人は現実に向けて行動を起こす。世の中ではよく、リーダーはついてくる人(フォロワー)を率いる、リーダーシップはフォロワーを前提とするなどと言われるが、私はそうは思わない。旅はたった一人で始まる。(野田智義〜『リーダーシップの旅』より)

  今週はある人とのメールのやりとりから、急に『リーダーシップの旅』という本を思い出して久しぶりにめくっていた。ぼくの師匠(小川国夫さん)は、23歳だったぼくに、いい仕事は仲間とやれ、ただし、仲の良い友達という意味ではない、いい仲間とはいい仕事を通して出会える、というようなことを言っていたっけ。いろんなことにあてはまる(ような気がする)。ぼくが毎週(ワークショップっぽい国語の授業をやるために)通っているアトリエで切磋琢磨している学生さんたちにも。

2016/05/26

寝る日

 タイサンボクの花が2階の窓の目の前に大きく開いている。どんどん咲いて、どんどん散り、落ちてゆき、屋根に重く、乾いた音をたてる。紫陽花も咲きはじめた。ぼくは急に疲れが出た。それで今日は急遽、休ませてもらって、一日寝てばかりいた。

2016/05/25

可笑しさ、哀しさ

 人々はよく、われわれみんなが探し求めているのは生きることの意味だ、と言いますよね。でも本当に求めているのはそれではないでしょう。人間が本当に求めているのは〈いま生きている経験〉だと、私は思います。(ジョーゼフ・キャンベル)

 とある仕事の話をしながら、10年以上前、はじめて「出版」とやらの世界に足を踏み込んだ新人のころ、フリーランスのデザイナーに仕事の依頼をしに行ったとき、その人に近づき難い怖さを感じたことを急に思い出した。いまの自分にそれと近いものを感じるわけだ。可笑しい。でもそれを(若い人ではなく)自分より歳上の、40代とか50代の人を相手にしながら思い出すというのは何だか哀しいような気もする。
 夜、仕事(出稼ぎか)から帰宅して、妻子が起きていると嬉しい。光海が窓を外を指して「おちゅっちゃまみたい!」と言う。2階からのほうが見えるかも、と、階段をのぼらせる。最近は降りるのも「ひとりでやる!」だ。

2016/05/24

おもしろいということば

 いつものようにモーニング・ページをやって仕事に出る。何を書いたと人に言わないようにしてる。今日はおもしろかった。おもしろいということばが数回くりかえし出てきた。

2016/05/23

「環境」づくり

 能力を最大限に発揮するとき、労働ではなくアートが始まる。(尹雄大)

 先週の月曜に帰省から戻り、翌日から仕事三昧だったので今日が帰省以来最初の休み。と言っても例によって家での仕事は山積みなので、ゴソゴソやっている。

 しょうぶ学園にかんして書かれたものをひきつづき読んでいる。人は(もしかしたら「生き物は」というべきか)置かれた環境に大きく影響される。ある程度はそう思ってきたが、いまこの社会に生きる「人」も、これほどまでに… と驚きをもって見ている。それなら、自分も、まだまだ… と思う。いくらでもできる仕事はあるなぁと思う。

 写真はぼくの実家にいる「リン」。夜になると、焼酎を飲んでいるお父さん(ぼくの父)の膝に乗りテーブルに顎をのせて居眠りをするのが好き。

2016/05/22

今年も咲きました。

 大事なことは、何かをやらせようとすることではなく、その人のやりたいことに寄り添うことだ。(池田三四郎)

 今年も、道草の家に寄り添っているタイサンボクが花を咲かせています。今朝、起きたら、2階の仕事部屋の、いつもパソコンに向かっている窓辺から見上げたすぐそこに大きな白い花が。いい感じの風も吹いていて、なんだか元気が出てきます。

2016/05/21

お酒

 お酒をいただいた。その方のお知り合いがつくっているお米が使われているお酒なのだとか。新酒に一度だけ火を入れたお酒「一火」。じつに旨い。ちょっと辛口で、自分にはちょうどいい感じ。ぼくのことを大酒飲みのように言う方がいらっしゃいますけど、つきあい出せば長いというだけで、けっして「大酒」飲みじゃないと思います。家では、ちびちび、毎晩、少しずつ飲んでる感じ。ビールは別ですけれど。(けっこう何でもいけます。)

2016/05/20

「問い」をつくるワークショップ

 健常者は他人に感化されてしまいますが、それはひとつの障害と言えるんじゃないでしょうか。他人からの感化を受けさせようとするのが教育だとしたら奇妙な話です。(福森伸)

 帰省から戻ってから、行くところ行くところで「しょうぶ学園」の話をしている。今日から本格的にはじまったアトリエでの授業(※注:先月のはプレ授業だった)でも、時間の一部をつかってやっぱりその話。福森伸さんというのはしょうぶ学園の現・施設長で、たとえば上のようなことを言っている。アトリエの先生も「障害のある人から、ぼくらが学んでいるよね」と言っていた。ぼくも同感。真の「対等」とは何か、ぼくに教えてくれている。授業では、前々からやってみたかった「「問い」をつくるワークショップ」をやった。各々が「どういうふうに読んでいるか」の細部が垣間みられて、想像以上に興味深い時間になった。

2016/05/19

「しょうぶ・すたいる」との出会い

 今回は1年ぶりだった帰省、予定の決まっていなかった1日があり、妻に「どこか行きたい場所がある?」と聞いたら、「しょうぶ学園に行きたい」と。へぇ~そんな場所があるのか、と、行ってみて、おどろいた、目を見開かされる思いがした。
 とっても励まされて。パスタもパンも素晴らしかった。お腹がふたつあれば蕎麦も食べたかった。また行きます。次回は平日、工房が動いている日に訪問したい。しょうぶ学園で受け取ったまぶしい光に照らされて、さ、自分はどうする?

2016/05/18

パパの故郷

 先週の木曜から、今週の月曜にかけて、1年ぶりに鹿児島へ帰省していた。今回はいろいろ行きたいところ、やりたいことがあって、親戚や友人の誰にも会えず、ひたすらぼくの両親、妹たちや甥と一緒に過ごした。出発前に妻がインフルエンザにかかり、行けるかどうか危ぶまれたり、ここには書かないけれど良くないことがつづいて、でも予定通り行けることになり、出発しようとしたらJRの停電で電車がストップするというハプニングもあった。鹿児島についたら、まず両親と霧島の温泉で一泊、翌日からは鹿児島市内の実家で三泊、久しぶりにゆっくり、穏やかな時間になった。いろんなこと、ぼちぼち書こう。この写真は、帰りの飛行機が動き出そうとしたところで、光海が急に大きな声をあげて、バイバーイ! と言ったところ。嬉しかったな。

2016/05/06

普段の、この場所

 今日も再び森林公園を散歩して「ぱっかぱっかおうまさん」に会いに行きたいという光海と出かける。馬たちは昨日の疲れを癒すように、まったり、ゆったり過ごしていて、こちらまで癒される。イベントもたまにはいいけれど、普段の、この場所が好きです。

2016/05/05

馬の夢

 こどもの日。いつもの散歩コースである馬の博物館&ポニー・センターでイベントがある日。光海を馬車に乗せてあげたいね、と話して、朝はやくに整理券をもらいに走ったが、目の前で定員を迎えてしまい残念。でもそんなこと知ったことじゃない光海は馬が走るのを見ながらおにぎりとハンバークをぱくつき、JR東日本のブースで新幹線のバッヂやマグネットを貰ってご機嫌、ついでに馬のぬいぐるみを買ってほしいと言うので「こどもの日だから」ということで買ってあげたら、帰ってきて抱いて昼寝してる。これを幸せと言わずに何を幸せと言うのかぼくは知らない。伝統芸能の流鏑馬(やぶさめ)、笠懸(かさがけ)も見てきました。馬車が出るのは、こどもの日だけじゃなくて毎月あるらしいので、いつか乗せてあげよう。

2016/05/04

聞こえやしない。

 凄まじい風と雨の音で、朝はやくに目がさめた。いつものようにモーニング・ページをやり、今日は再び外出支援に出かける。幸いにも午前中のうちに雨はやみ、そのかわり、蒸し暑い日になった。今日の「支援」では、ご家族の希望で(本人は何も言わない)「アクアパーク品川」へ(よくよく調べてみたら「しながわ水族館」というのもあるんですね)。ぼくははじめて行く水族館だったが、公式サイトによると「音・光・映像、生き物たちが融合する最先端エンタメ施設」だそうで、水族館というより遊園地。イルカのショーも、音楽が爆音(?)で流れて、イルカの声なんか聞こえやしない。いろいろ考える羽目になった。そして連れて行けと言われた当人は大音量にビックリして妙な顔。そしてまわりは人、人、人! 何もわざわざGWに行かなくてもよかったんじゃないかと思うんだけど…

2016/05/03

音楽が教えてくれる。

 妻の母が来て、家のまわりの草むしりをしてくれた。庭仕事が好きなばーばにいつも助けられています。ぼくはその間に出かけて用事をすませ、帰ってきて蕎麦を茹で、みんなで昼ご飯にしたあと、草むしりが終わった義母と妻がふたりで出かけて、光海とふたりでラジオを聴いていた。NHK FMの「今日は一日ジェームズ・ブラウン&ファンク三昧」を、昼から夜まで、ず〜っと。夕方には我らが山下達郎大先生が登場、例によってご自宅で(ラジオ用に)リマスターしてきた音源をつかって、JBについてたっぷり解説。おんなじことを延々とくり返していても、いつも同じか、それ以上のパッションでやれば力をもちつづける、と達郎さんはいつも言っている。JBの音楽が教えてくれる。

2016/05/02

貴重な仕事

 今週は連休があるので、「外出支援」の仕事もイロイロと変則的。ぼくは土日祝関係ない生活をはじめて、早くも6年がたった。6年って、よく考えたら、それなりに長いような… 当初は何も出来なかった。動けなかった。心がヘトヘトだった。いまだから言えることはたくさんあるけど、その話を聞ける人がいるなら、その当時、聞いてほしかった(たぶん本当に聞ける人はいなかったでしょう、自分ですら聞けなかったんだから…)。極端なことを言うと、いまでもぼくは他人から「仕事」と聞くと構える。お前、何をわかって言ってんだ? と。そのくせ自分では「仕事」ということばを頻繁に使う。なんでもかんでも「仕事」と言います。仕事、何「事」かに「仕える」と書く。たとえば朝、こうやって妻が弁当をつくってくれるのも仕事。自分がつくるときには、「おにぎりだけ」といろいろと省略してしまう。貴重な仕事です。

2016/05/01

忘れられない一日

 昨日は江古田のヴィエイユ市原ひかりさんのコンサートを聴きに、家族三人で出かけた(ひかりさんが初の個展を開催している話は少し前に書いた)。家族三人でコンサートを聴くなんていう体験は初! こども用のコンサートに母子で出かけたことはありましたけど… ムリかな? とダメもとで話したら、ぜひどうぞ、という嬉しい返事をいただけて、この日をたのしみにしていた。ひかりさんの生演奏を聴くのは数年ぶり(以前はよく聴きに行っていた)。結婚した直後に、妻を誘って行った土岐英史セッションで聴いて以来。相変わらず素晴らしいプレイヤーですけど、今回は初めて「歌」も聴けました。歌を本業としないミュージシャンが歌うのを聴くのは好きなのですが(その人のセンスが際立つ)、想像した以上に良かった。光海は、ゆっくりはじまった演奏に合わせていきなり"Big Girl Don't Cry"(The Four Seasons)を軽快に歌い出して、パパはちょっと焦った。あとはパパとママが交代で外へ連れ出したり中へ戻ったりしながら何とか聴けました。忘れられない一日になりました。皆さんどうもありがとう!