2017/01/31

感謝を伝える日

 なぜ生き物がいて、なぜこの世界があるんだろう。そしてなぜぼくにはいろんな感覚というものがあって、この、いま、があるんだろう。──こどもの頃はいろんなことが不思議で、じつは、ぼくはいまでも、その「不思議だな」という思いを少しは抱きつづけてる。生を受けたら、生き物は「生きよう」とする本能をもっているのだろう。しかし人間は、ちょっと「生」を複雑にしすぎたね。なんという愚かな生き物なんだろうという気もしないではない。なんて思いながら、こうやって数学のお化け(パソコン)に向かって時間をつぶしているのも妙なことかもしれない。
 ──今日はぼくの誕生日だ。今年も、自分の誕生日は自分で祝ってあげる。それから、夜は家族に祝ってもらう予定。そして、ぼくの父母に、家族に、感謝を伝える日だ。

2017/01/30

小学1年の時だったか、担任の先生が…

 朝、起きてゴミ捨てに出ようとしたら、雨の降った跡があった。今日、明日はちょっとひと休み。明日はぼくの誕生日だから。それで昨年からずっと出来ていなかった自室の大片付けにとりかかった。その片付けが終わったとはとても言えるような状態ではないけれど、部屋が少しスッキリして、具体的にどういうことかというと、広く感じられるようになったということ。小学1年の時だったか、担任の先生が通知表に「机の中はきれいにしましょう」とよく書いていた。それくらいぼくの机の中は常にとっ散らかっていた。整理が出来ないこどもは、そのまま整理の出来ない大人になってしまった。けれど、「机の中はきれいにしましょう」ということばは、大人になったぼくを不思議と励ましてくれる。ぼくが受け取った、ありがたいことばの、ひとつだ。

2017/01/29

散歩大学

 芸大… と言われると、ぼくもいちおう芸大の卒業なので自分の母校(大阪芸大)を思い出してしまうけれど、もちろん東京で「げーだい」と言ったら東京芸大で、上野だ。
 じつは今日はじめてその芸大へ行った。外出“どこへでも連れて行ってくれ”支援に同行のヘルパーあり(理両者さんとの顔合わせ)「一緒に行ってみたいところあります?」と言ったら、「芸大の卒展… ゆっくり散歩して… とかどうです?」と返ってきて、そのアイデアにはぜひのろう! となったわけ。国立大にしてはきれいなキャンパスだった。しかしぼくは自分がもう一度大学に行きたいという気持ちには全くならないのだった。

2017/01/28

何かを制限することば

 自由にモノが言える場は、どこかに、必ず、もっておきたい。「自由」ということについては数日前に書いた。
 噓はダメだと言われる方は多いだろう。が、噓はそこら中にある。噓が本当にダメ(あってはならない)なら大変なことになる。噓があってこそ社会は成り立っている。というより、噓はダメだ、ということばに多少噓が混ざっているのかもしれない。
 最近は愚痴を良くないように言う方もよく見かける。愚痴は必要だよ。悪口は言うもんだ(不思議と伝わるもんだけどね… 悪口は、ちょっとは言われてるくらいが本当はよいのかもしれない)。
 その手のことは何でも言って(書いて)いいと思う。それが伝わって、傷つく人がいてもいいと思っている(自分が傷つくこともある、でもいい)。
 それより、何かを制限することばが溢れてることのほうが恐い。

2017/01/27

静かな道

 入試シーズン到来。と同時に、昨年春からやってきたアトリエでのぼくの授業は今年度も終了。芸大・美大を目指す学生たちにとっての「学科試験」の対策で呼ばれているので、それが終わってしまえば、ぼくの役割はいちおう終わりなのだ。しかし、ぼくは「学科試験だけ」を見ているのではなく、彼らひとりひとりの進もうとする方向を一緒になって眺めようとしている。「表現」とか「ことば」をめぐってイロイロサマザマなことをこの1年もたくさん考え、資料集めをして、授業やワークショップの企画を立て、実行に移し、限られた時間の中で精一杯やった。それでもやっぱりみんなが心配、気になるので、ぼくも、あぁ、すっかり「先生」というやつになったのだなぁとしみじみする。今年の春、いくつもの良い別れがありますように。寂しいような気もしつつ、それを願ってる。アトリエを出て、住宅街のなかを歩いて駅まで戻ろうとしたら、やけに印象的な静かな道があった。思わず写真に撮った。

2017/01/26

お山の上の「デンデン」

 日本の総理大臣が国会で「云々」を「デンデン」と(しかも自信満々そうに?)読んだ(話した)そうである。インターネット上には、某動画サイトに映像があがっているらしいから、興味がある方はご覧ください。それがどうした? そんな間違いは誰にでもある、と言う方もいらっしゃるかもしれない。彼はじつはかなり若い人で、「云々」なんて漢字にはこれまで出会ったことがなかったのかもしれないですね。そのへんの安い居酒屋で喋ってるおじさんたちも「云々」を「デンデン」と言いますかね。「国語」とやらを教えている身としてはちょっと気になる。そして、デンデン総理の「デンデン」を問題にするのは、他のいろんな重要な問題が何年も積み重なったお山の上に載った「デンデン」だからだ。

2017/01/25

チック・タック

 長門芳郎さんのお仕事、『ベスト・オブ・パイドパイパー・デイズ』のVol.2が出来た、おめでとうございます。今回は初めて聴くものも多くて、嬉しい。くり返しくり返し、大切に聴きます。
 Connie Stevens "Tick-Tock" は、世界初CD化だそう。山下達郎さんが昨年か一昨年に「サンソン」で流しているのを聴いて以来、忘れられなかった。素晴らしい音!
 ぼくは自分が歌を書いたり演奏したりすることは止めて、もうかなりの時間がたつけれど、その後もずっと「聴く人」ではあったし、むしろ止めてからのほうがよく聴けているような気がしている。ぼくにこのような音楽を教えてくれて、ぼくの生活の中に導いてくれた人たちには本当に感謝している。直接的ではないけれど、たくさん助けてもらっている。いや、これほど傍にあるものもないから、直接的だよ!

2017/01/24

「自由」とは

 芸術の本質は、目に見えるものをそのまま再現することではなく、見えるようにすることである。(パウル・クレー「創造についての信条告白」)

 昨年4月から始めた「モーニング・ページ」は、毎日、ずっと、つづけている。その「ただ吐き出す」行為の延長で、相変わらず「原稿」も書いているが、それも最近は手書きでやっている。より自由になってきた感触がある。ただ、その「自由」を説明するのは簡単ではないような気がしている。
 よく見たら、「自由」とは、「自らに由る」ということ。ほかの人の意見とか評価とか、権力によって支配されない。クレーは別の文章の中で「われわれは自分たちの性に合ったことをやってかまわない」とも言っている。それがどういうことか… ここにはそれを書くだけのスペースがない。
 その「自」の、以前より深いところに最近は降りてゆくことができるようになったという感触がある。

2017/01/23

アフリカキカクの名刺

 今月(今年)の初めに「つくる」と言っていた名刺が印刷所からあがってきた。どちらが表(主、メイン、etc.)なのかわからないって? よく考えたら、「アフリカキカクの下窪俊哉」の名刺をつくったのは初めて、です。

 2010年につくった名刺は片面印刷で、吉祥紙という上品な紙に控え目な文字で印刷されていて、ぼくの肩書き(?)は「essey & more」となっていた。いま以上にわかりづらい? 「ライター」というのとは違うよね… でも「作家」とか「随筆家」とかというのでもないし… と散々話し合って決めたのだったが… でもね、多くの人は普段、名刺の「肩書き」を見て、それが何を意味するものか「わかって」る?

2017/01/22

朝の音楽

今朝は3時頃に目がさめてから、ほとんど眠れなかった。突然、この10年くらいの間のことが、怒濤のように思い出されて押し寄せてきて。そんなとき、いつも、ラジオから流れてくる音楽に慰められた。今朝も…
 今朝は、長門芳郎さん選曲の朝の音楽を聴いていた(リンク先、radikoのタイムフリー機能で1週間は聴けます、再生を押して3時間まで)。
 ゆっくり空が明るくなっていく。高いところに浮かんだ月がとてもきれい。

2017/01/21

「表現」だなんて

 今日は以前から約束していて、息子が今後、通うことになるかもしれない場所へ家族三人で行ってきた。家ではあまり見せないような、嬉しそうな、楽しそうな息子の顔が、心に残った。ぼくは前夜が遅くて、朝が早かったので、眠くて、夕方には久しぶりに家族で昼寝(夕寝というか)をした。

 大人の、しかもたくさんお金を使う大人の理屈で回っている社会で、一番窮屈な思いをしているのはじつはこどもたちではないかという気がしている。こどもたちが生き生きしていると感じられる場では、絵とか音楽が生き生きしていて、それを見てぼくは知的障害のある人たちの「表現」を思い出す(彼らは「表現」だなんて思っていないだろうが… ガチガチに管理されてしまうと幼いこどもでもそういう「表現」はできないだろう)。なぁんだ、これじゃないか、と思う。真面目くさって「アウトサイダー・アート」とか言ってるのがアホらしくなる。

2017/01/20

1/100

 文章にとってもっとも大切なのは、前へ進んでいく力です。(片岡義男)

 センター試験明けのアトリエ授業。芸大・美大志望の学生が大半なので、あとは主に私大入試対策に向かう。例によって、ぼくはいま、自分が彼らに読ませたいと思うものを、細切れに持って行っている。が、若い人たちには自分の見えている狭い世界にしか興味がないというより余裕がなくて、どれくらい読まれているかじつはよく知らない。ただ、ぼくが持ってゆく100のうち何か1つでも心にひっかかるものがあればよい。100がなければ1もないというわけだ。
 授業後、学生たちが食べている「おみくじせんべい」をぼくもいただいたら、大吉。一番付き合いの長い学生に手渡してきた。かわりにもらってきたのは「吉」で、「飲みすぎ注意」だそう。

2017/01/19

困ったぁ

 深刻な時ほど笑いが必要だ。ユーモアの題材を探し出せ。そこに現状打破の突破口がある。(ヴィクトール・E・フランクル)

 左足の足底腱膜炎につづいて、今度は右足のふくらはぎにチクチク(時々)針に刺されたような痛みが走りはじめてる。足に疲労(この数年蓄積してきた)が出てる? あぁ困った。仕事に支障が出はじめています。でも、ここは覚悟を決めなければ。出来ないものは出来ない。仕事や生活の細部を再検討して、変えるべきところを変えて進め、ということかもしれない。ここは慎重にゆこう。と思います。苦しい苦しい。しかし、渡りに船、ということばもある。まずは「困ったぁ」と声をあげて、つくり笑いでもして…

2017/01/18

隣町の世界地図

 久しぶりに三軒茶屋のred-cloverまで足をのばす。
 そこで、中米、南米の土地や人たちを隣町のことのように楽しそうに話す人たちと接していて、あ、おれ、日本を出たこともない、パスポートもったことないし(いまのところもつ予定もない)と我に返る瞬間があった。何しろ、故郷・鹿児島と住んでる横浜の間をとても「遠い」と感じてる人ですからネ。
 何事も比較によって感じ方は変わる。それに、遠くても、そこへ行けば、近い。それに、生まれた土地からほとんど外へ出ずに人生を送る人たちの世界が狭いかと言うと、そんなことはない。ぼくには、どちらも、いいなぁ。

2017/01/17

22年

 阪神大震災から22年、らしい。そうか、いまぼくが毎週、接している若い学生さんたちは阪神大震災を知らないんだな、と思うと、今朝のモーニングページではいまから10年前、20年前、30年前、40年前、と急に記憶が遡り、自分がいなかったはずの頃までいってきた。
 小川国夫さんから生前よく聞かされた話、人は祖母祖父の世代から孫の世代まで(ほどほど生きられたとして)ざっと150年分くらいの話を、肉声で聴くことができる。
 夜には、阪神大震災と言えば… と思い出して、土岐英史「C Minor」の話も少し書いた。

2017/01/16

弁当箱の楽しみ方

 今日の昼は久しぶりにYO-KOのお弁当を買って来ようという話になった。山手駅前にあるお弁当屋さん、ここに引っ越してきた頃からずっとお世話になっている。電話で「行きますから〜」と伝えて、行くと、「今年もよろしくおねがいします」と。お互い元気でやれていることに感謝しなきゃ。ね。
 それから、食べ終わった弁当箱を見て、妻の目がキラリと光った。なるほど。庭仕事をしている間に光海がつくった「お弁当」を写真に撮っていてくれた。今日の1枚、です。木の枝は「箸」でしょうネ。

2017/01/15

「すごい」注意報

 最近の人はよく「すごい」と言う。その「すごい」にはぼくはとっくに飽きてます。「すごい」と言われると離れたくなる。と言いながらじつはぼくも「最近の人」らしく(少なくとも時代の影響からは免れようがない)たまに自分でも思わず「すご…」と言いかけて自分からも少し距離を置く。つまり「すごい」に警戒している。すごい何なのか。どちらかと言うと「すごい」より「何」を大切にしたい。「すごく寒い」「すごく嬉しい」などはたまに言います。それも、たまに、にしないとつまらないな。
 鹿児島では「すごい」を「わっぜぇ」と言うが、良いことにも悪いことにも使う。最近の人は「すごい」を良いことだと信仰しているようなところがあって、それもぼくは気に入らない。
 すごく寒いので、今夜は温かいものを、と都内某所で仕事後にモツ鍋をして、焼酎のお湯割りを飲んだ。すごく… いや、しみる。美味しい。

2017/01/14

濃厚な〈旅〉の感触

 人間のことは、あれこれ迷ってみてもけっきょくは運だと思った。(伊谷純一郎)

 Twitterである方に教えてもらって読んでいる『ゴリラとピグミーの森』より。「サル」の日本人研究者による約半世紀前の東アフリカ紀行。これを2017年に読んでいる。何だか、いい。偶然の細い、細い、見えないくらいの細い糸がたまたまつながったようで嬉しくなる。それにこの本のなかに詰まってる濃厚な〈旅〉の感触が、ぼくを明るい、軽やかな気分にさせる。
 なぜ、それで軽やかな気分になるんだろう。頭のなかだけでも現実の外へ連れ出してくれるから? いま、ぼくがいる日常も、思えば〈旅〉の一地点だということを思い出すから? 停滞していたものが、じわ、じわと動き出す気配を感じる。いや、地球はいつも回っているのだし、じつは停滞しているものなんてひとつもない。
 写真は昨夜、大田区・武蔵新田の少し高いところから眺めた月。

2017/01/13

つくり笑いと、深呼吸

 曲がり角をいくつも曲がって、どこかへゆくためにでなく、歩くことをたのしむために街を歩く。とても簡単なことだ。とても簡単なようなのだが、そうだろうか。どこかへ何かをしにゆくことはできても、歩くことをたのしむために歩くこと。それがなかなかにできない。この世でいちばん難しいのは、いちばん簡単なこと。(長田弘「散歩」)

 センター試験の前々日。坦々とやれることを続ける人、急に焦ったようになる人、雑談に興じる人たち、学生たちの顔を見ていて、いろんなことをぼくは感じる。今年度のぼくの授業はどうだっただろうか。上手くいったという感触は、ない。初めての試みに充ちていた。「読むということの根源を教えてるというか…」という人がいて、ありがたいんだけど、それ、ぼくは教えてるかな。ま、何はともあれ試験本番だ。みんな思い切ってやってきて! 困ったら(これはある方からの受け売り)つくり笑いでもいいから笑顔と、あと深呼吸を。

2017/01/12

そくていけんまくえん

 私たちは風景をつくりながら生きている。(山本ふみこ)

 数日前から再び左足の踵が痛む。長時間歩いて、とてもきつかった(以前にはなかったこと)。それで、今朝、ようやく整形外科へ行った。レントゲンを撮ってもらい、説明を受けたが、「骨棘」まで進行はしていなくて、骨には(いまのところ)異常なし、「足底腱膜炎(そくていけんまくえん)」とのこと。靴や靴底に工夫をして、ストレッチをよくして、しばらく様子見ということになった。
 それにしても整形外科は大盛況で、診察になかなか呼ばれない。ふみこさんの本を持ち込んでゆっくりめくっていた。思わず全部読んでしまうところだったが、これは少しずつ読むことに決めている。あぶないあぶない。

2017/01/11

おしること気分

 朝、起きたら、妻がおしるこをつくってくれていた。お雑煮、七草がゆ、おしるこ、お正月にかんしては、横浜出身の妻と鹿児島出身のぼくとで、慣れ親しんできた食べ物に、それほど差がない。

 ところで、ぼくは今日は何やらずっとイライラしていた。仕事から帰宅してみると妻もイライラしている。熱いお風呂に入ったら、冷たくなっていた気分も少し温まった。よく寝よう。

2017/01/10

ダメならダメなりに

 相変わらず、いろんなことにモタモタしている。自分はダメな人だなぁと自分で思う。ダメならダメなりにやるしかないというのがぼくのぼく自身に対する態度だ。ひとつ、ひとつ、やろう。

2017/01/09

ついでに、

 昨日の朝は年に一度あるかないかの凄まじい二日酔いの嵐に打たれながら明けた。前日の夜、都内某所に呼ばれてゆき、散々飲んでしまった。途中から記憶がないくらいだ。それでもきちんと予定通りの時間には起きて、仕事に出かける。曰く「居眠り支援」。彼も散歩して休憩して居眠りをするのが好きだし、ぼくも今日ばかりは横になっていたい気分。しかし街中には横になれるスペースなどそう簡単には見つからない。いや、ぼくが横になっていては仕事にならないから、ゆったり座っていられる場所、くらいにしなければならない。考えて、思いついた。大門の展望台へ。そこなら人も少なくて(今日は貸し切りに近い時間帯もあった)気持ちのよいソファーがある。ついでに、眺めもいい。

2017/01/08

2017/01/07

いまの自分の何を問うた長距離散歩

 2017年の外出支援始め。「どこに行くの?」と訊いたら「たばた」とのこと。田端までJRでゆき、そこから、どうするのかな? と思っていたら、すたすた歩き出す。ぼくという「支援者」はついてゆく(自分では「同行者」という気分)。ぼくは、道がわからない。年末に買ったばかりのiPhoneで調べたら場所はわかるのだろうが、それでは面白くない。彼に任せて、ずっと歩いてゆく。気づいたら、大きな門の前を歩いていた。どこ? と思ったら、あぁ、東大か。というので、その門ややたら重厚そうな建物群を見ながら歩いてゆく。その後も、まっすぐ行ったり、たまに曲がったりする。秋葉原まで来て場所がわかった。しかしそこでも電車には乗らない。気づいたら神田まで来ていた。そこでも電車には乗らない。最終的に東京駅まで歩いた。不安を抱えている足が悲鳴をあげていた。この足の様子、先ゆきアヤシイ感じがしている。

2017/01/06

流れ

 ぼくも今日から本格的に仕事始め。その前に府中に寄り、大國魂神社へゆき初詣・府中篇をすませ、そのあと美好町まで歩き珈琲焙煎舎へ新年のご挨拶に。ちょっと面白い話をアレコレしながら珈琲をいただいたが、その内容は秘密。夕方からは吉祥寺に移動して今年初授業。センター試験まであと1週間、みんな頑張れ。頑張れと言うのは、できることをしっかりやりきろうということ。年末には、心配のほうが大きかったが、いまは少しいい雰囲気。良い流れというのは必ずどこかでやってくるもので、それはしっかりつかまえて進みたい。ただ、ささいなことにとらわれず、多少モタモタでもいいから。

2017/01/05

お正月の「〆」に

 お正月の「〆」に、家族でシー・バスに乗って海に出て、そのあと、ランチの外食(外食始め?)をしてきた。年末は疲れが出ていたけれど、思う存分、休んで、元気回復。さぁ、また、これから。

2017/01/04

たまにあるから

 初詣は毎年、4日に。家族では伊勢山へ。ぼくは少し後に、府中の大國魂神社へ行くことにしている。ぼくはとにかく家で、家族で、穏やかに過ごせるお正月に感謝します。こんな時間は、たまにあるから、ありがたく感じるのかな。

2017/01/03

シャレがわかる人の名刺

 近所の公園(根岸森林公園)まで散歩に出かける。凧がたくさん飛んでいる。ぼくは7年ぶりくらいに自分の名刺をつくろうとしている。そのデザインが、いわば、ぼくの2017年の仕事始めになった。
 どうして、こんなに名刺嫌いになったんだろう。名刺交換をするだけで、知り合ったような気になる、というのが嫌なのだ。それにつくっているものがあれば、それが名刺がわりになる(芸術家で名刺を持っている人は信頼に値しない)。これからも、こちらから安易に名刺を出すようなことはしまい。しかし偶然(?)会うのも二度目になると、しっかり「知り合う」べきかも!
 7年前は親しくしていたデザイナーにボランティアでやってもらったのだったが、いまは自分でやる。逆にぼくが、いま親しくしている人にボランティアでつくってもいい気がしてる。ま、これを見て「やってよ」と言われてもシャレにならないから、シャレがわかる人で、必要な人がいればやらせてもらおう。

2017/01/02

毎年恒例

 お正月のつづき、2日は毎年恒例、結婚する直前の2012年1月から、毎年ずっと通っている山手の銭湯・ゐなり湯の「初湯」へ行く。この日は、「御福銭」と「干支石鹸」がもらえる。お湯はいつも通りのお湯なのだが、普段は15時から24時までの営業なのが、「初湯」のみ7時(だったかな)から15時までの営業なので、朝湯ができる。天窓から朝日が注ぎ込むなか、熱いお湯に入っていい気分なのだ。光海もパパと一緒に入れてご機嫌。ぽっかぽか。
 ぼくは年中無休というか、年中休みのような感じというか、こんなに長く家にいてノンビリできるのはお正月だけ。もっともっとボケボケしていたいけれど…

2017/01/01

小声で

 世のなかには、いろいろなかたちの家族があること、あっていいこと、どこからだってはじめられ、やり直せる。そんなふうに、ちょっと小声で叫びたい気持ちだ。(山本ふみこ)

 今年も道草の家(自宅)で新年を迎えた。毎年のように妻のつくったお雑煮で元旦の朝をすませ、妻の実家にゆく。ぼくは故郷の家族のことを想い、幼い日にあった(いまはない)お正月のかたちを思い出したので、モーニング・ページにあれやこれや書いておいた。ちょうどいい具合に大晦日でノートが切れたので(じつは2ページ余っているのだが、それは別の用途に使おう)元旦から新しいノートにも切り替わった。新年の抱負は自分にはない(あってもすぐに忘れる)。一年の振り返りは年末にやった、それでじゅうぶん。今年もよろしくお願いします。今年は少しくらい仕事します。